【映画感想】Sex and the City ☆☆1/2

最初に言っておくけど、私はテレビシリーズの「Sex and the City」の全エピソードを見ているし、筆舌に尽くしがたいほど素晴らしい番組だと思っています。

そういうファンとして言わせてもらうと…がっかりしました。

どこかの新聞で評論家が、主人公たちの生活の中心が恋愛じゃなく子育てや介護になってきたりしているからつまらない、というような意味のことを書いていましたが、私はそういう理由じゃないと思う。テレビ版だって病気や子育ての悩みや老人介護の話は出てきたし、そういうのも面白かった。4人が40になろうと50になろうと、生活がいくらジミになろうと、それをシビアな視点から辛辣なユーモアをこめて描いてくれれば、それが「Sex and the City」らしさなのだ。

ところがこの映画版のメインストーリーは、40代どころか20代の…いや、10代の小娘が憧れるような夢物語に後退してしまっている。

まあ、悪くない部分もあるんだけど。ミランダの話は、ありがちとは言え思わず応援したくなるし(スティーブが好きなんです、私。スティーブは相変わらずかわいい)、友情に厚いシャーロットは相変わらず素敵だし(シャーロットの旦那のハリーも、なぜかかわいく思えてきたりして)、サマンサはこの映画では数少ない笑いを提供してくれている。

と、ここまで書いて気づいたけど、私が気に入らないのって、要するにキャリーの話…というか、キャリーとビッグの話なんだな。ビッグが出てこない中盤は、けっこう楽しんだもの。でも、キャリー&ビッグがメインストーリーだからなあ。

テレビシリーズのビッグは、とにかく自己中心的な男だ。

<以下、テレビと映画を含むネタバレ>

キャリーと最初に別れた後20代の女性と結婚するけど、それからいくらもしないうちにやっぱり我慢できなくてキャリーと不倫していた男だ。

ずっと後に、深刻な病気にかかって手術を受けることになり、死の恐怖に怯えているときはキャリーに甘えて心配させて散々看護させておいて、そういう中でキャリーのビッグへの愛が戻ってしまった後で、「手術が成功して元気になったから。ありがとね、さよなら」と、あっさり去って行った男だ。

テレビ版のラストでキャリーとビッグがよりを戻した時、正直、「本当にビッグでいいの?」と思った。まあ、「キャリーは他にもロクな男とつきあってなかったから、しょうがないかなあ」とも思ったけど。

今までのことは反省して心を入れ替えた、というふれこみだったけど…50近くまでずーっと自己中で、それで何の支障もなくやってきた大金持ち・ハンサム・モテモテ男が、その年齢からそんなに変われるだろうか。それこそ、おとぎ話だ。

ひょっとして、ビッグはサマンサと似ているのかもしれない。人を愛せないわけじゃないけど、結局は自分中心でなければ気がすまない人間。でも、サマンサがビッグと違うのは、そういう自分をしっかり見つめ、認め、そういう風に生きてゆくことのマイナス点も受け止める覚悟をしていることだ。「私は49年間、自分と愛し合ってきたのよ。この関係は捨てられない。」

その点ビッグは、相反する二つの価値の両方を求め、しかも両方を求めているということすら意識していないように見える。それでなんとなく許されてきたのだろう。男だから。

だから、映画版のラストでも、「本当にこれでいいの?」と思ってしまったのでした。

だいたい、「シンプルな白いスーツを着て、市役所で二人きりの結婚式」なんて10代の頃の私が映画で見て「ロマンティックだ」と憧れていたパターンそのまんまで、思わず赤面してしまいましたよ。あんなの全然「SATC」じゃない。第一、ヴィヴィアン・ウエストウッドのドレスの方がよっぽどキャリーらしい。

大人なら、二人だけのシンプルな結婚式こそ夢物語、あちこちの知人親戚に気を使いながら大変な準備をして挙げる盛大な結婚式の方がよっぽど「現実」だと知っているはずなのに。

テレビ版を見ないで映画を見ている人がどのぐらいいるかわからないけれど、もしそういう人がいたら、「Sex and the Cityはこんなんじゃないんだよ〜」と言いたいです。