how i met your motherを見てのつぶやき。(season 7-12ネタバレ注意

Twitter向きのつぶやきですが、最新第7シーズン第12話(Symphony of Illumination)の容赦ないネタバレ(そこにゆくまでの全体の話もネタバレ)なんで、こっちで。

いやー、ずーんときましたわ。コメディでこんなに重い話を扱っちゃっていいのかと思うけど、深刻な話を扱わないのがコメディじゃないものね。むしろ、人生の重い真実を扱いつつ、いかにコメディとしての基本的な明るさ、楽観性を保つかがワザなので。

以下season 7-12大ネタバレ

前回のラストが、ロビンがバーニーに「妊娠したみたい」というところで終わっていて...

で、今回はいきなり、ロビン似の美少女と、スーツ着た金髪の生意気そうな男の子が、ストームトルーパーの等身大フィギュアのある居間に座っていて、ロビンの声が、いつものテッドみたいに「子供たち、ママがパパに会うまでの話をしましょうか。でもやっぱり、ママがパパに妊娠したことを告げたところまで飛ばすわね。」と語り始めて...

えーそうなんだ、でも最終回まではあと1シーズン半あるのにこんなに先まで明かしちゃって大丈夫なのか?...と、一瞬信じてしまったのですが、やはり甘かった。

妊娠ているとしたら確実にバーニーが父親だということがわかり、バーニーが(なんと!)「すばらしい、実は父親になりたかったんだ」と喜んだりしたので、ロビンがショックで気絶したりとかあって...でも結局妊娠していないことが判明して、親になる覚悟が全然できていない二人はとりあえず喜ぶのですが...

産科での検査の結果、ロビンは妊娠していないだけじゃなく、これからも決して妊娠はできないということがわかるのです。

ロビンは登場した時から「大の子供嫌い」というキャラで、前々から「結婚は望んでいない、絶対に子供は欲しくない」と何度も明言していて、結婚願望の強いテッドとうまくゆかなかったのも、そもそもそれが原因なのですが...

でも、「子供が欲しいとは思わない」と、「絶対に絶対に持てない」とは違うのだよなあ。

もちろん、どうしても母親になりたければ養子という選択肢もあるし、たぶん不妊と言っても、高価で労力のかかる不妊治療を受ければ、絶対に持てないってこともないと思うのだけど...でも、多分彼女は、自分がそこまでしないということを知っている。そこまでしても欲しい訳じゃないから。

だから、「あなたは多分妊娠しない」というのは、「私は死ぬまで、絶対に子供を持たない」とイコールなんだよね。「別に欲しくない(でも後で気が変わるかも)」が、「Never Ever(絶対にない)」に変わる瞬間。

たいがいの若い人は、子供は欲しくないと言っていて、実際に欲しくなくても、どっかで想像したことはあるんじゃないかなあ。「うっかり」妊娠してしまったら、それで「仕方なく」結婚したら、でもそれで意外とうまくいったりして、とか...女に限らない、たぶん男も。(バーニーなんて、絶対どっかでそれ思ってる。)

「フレンズ」の第9シーズンのロスとレイチェルみたいに。まああの二人はすぐにはヨリを戻さず、「友達として」一緒に子育てするうちにだんだん気持ちが...というパターンだったけど。

実は「How i met your mother」のこれも、そのパターンかとちょっと思ったのですが、違っていた。結局は、「うっかり子供ができて、結果うまくゆく」って、ファンタジーなんだよなあ。「ママと恋に落ちるまで」は、「フレンズ」に比べてより現実的っていうか、視点が大人っぽい気がする。(私は両方好きですが。)

現実には、30超えた大人には、そういうことはまず起こらない。子供が欲しいと思ったら、リリーとマーシャルみたいに、「子供が欲しい欲しい」とはっきり明言して、「犠牲を払っても親になる」とがっちり覚悟決めて、計画して子作りして...それでも出来ないこともあるのが現実。

特に望んでいたわけじゃないけど、「もしかしたら」の将来像が完全に消えたことで落ち込むロビン。冒頭から彼女が語りかけていた「子供たち」は、実は彼女の想像の産物だったことがわかり、ロビンが「もう私を押しとどめるものはない、何でも自由にできる。あなたたちが本物じゃなくてよかった」と言うと、画面からゆっくり消えてゆく。いや、もう、このシーンは痛いですわ。

アメリカのレビューを読んでいても、このエピソード自体の評判はよいものの、この「想像上の子供たち」については「視聴者に感情をゆさぶるための安っぽいトリック」と評判が悪いようです。でも、特に子供が欲しかったわけじゃない女が、将来の淡い可能性としての子供を失う痛さを表すのに、これ以上の表現はないと私は思う。

このエピソードで、How i met your motherを見ていて初めて泣いたって人が多いみたいですね。私は今回は泣かなかったけど。(実は第6シーズンで2回泣いている。)

前回の時点では、「ロビンがバーニーとの『一夜の過ち』で妊娠して、それがきっかけで再接近とかだと、『フレンズ』とパターン同じでいやだなあ」と思っていたのですが、さすがにいろいろ考えてきますなあ。脚本家は、ファンを感情的に振り回すワザを多く持ってるほどよい。お見事です。

さて、これからどうなりますか...楽しみです。

How I Met Your Mother(ママと恋に落ちるまで)にハマり中(4)

ニューズウィークの記事において、挙げられている役の例や「leading man」という言い方からしても、Setoodeh氏が問題にしているのはアクション映画のマッチョヒーローとかではなく、「ロマコメなど、男女の恋愛モノの男性側主役」、つまりロマンティック・リード(romantic lead)をゲイの男優が演じる場合なのだと思います。

さて「How I Met Your Mother(ママと恋に落ちるまで)」というSitcomは、男女が出会って恋をして、紆余曲折の末結ばれるまでをコメディタッチで描くという、まさに典型的ロマコメであるわけなんですが...

<以下、話の内容上どうしてもHow I Met Your Mother 第3シーズン以降のネタバレになります>

ちょっと変わっているのは、主人公のテッドが冒頭で出会って一目惚れする女性、2時間のロマコメ映画ならまさにラストで主人公と結ばれて終わる立場の女性が、第一話のオチで「彼の未来の妻ではない」ということが判明してしまうことですね。(「...というわけで子供たち、これがパパと『ロビンおばさん』が出逢った時の話だよ。」「えー、ロビンおばさん?ママと出逢った時の話だと思って聞いてたのに!」「まあまあ、この話はまだまだ先があるんだよ〜」)

というわけで以後7シーズンにわたって、テッドは数多の女性とデートを繰り返しているわけですが、題名の「ママ」(未来の妻)はまだ現れぬまま。でも、相手がどんな女性で、どこでどうやって出逢うのか、ほんのちょっとずつヒントが出ていて、だからテッドがどんな女性と付き合っても、ほとんどの場合「これは『ママ』ではない」と視聴者に分かってしまうのが難点なのですが...

とは言え、訳あり女性とばかり次々にデートするテッドの悪戦苦闘は、それはそれで面白いのですが。まあそういう特殊事情があり、また主要5人のうち2人(マーシャルとリリー)が安定カップルだということもあって(リリーの妊娠とかマーシャルの失業とか、それはそれで色々ネタはあるのですが)...「最終的にはくっつくということが見え見えで、いいかげん回り道はやめてさっさとくっつけんかと視聴者も思っているけれど、くっついてしまうと番組終わるし」というカップル、つまりは「『フレンズ』のロスとレイチェル」に該当するのが、バーニーとロビンなのです。(...いや、まだ先があるから断言はできないけど。たぶん。)

基本的にカワイイ、いい人系のキャラだったロスとレイチェルと違って、バーニーとロビンは二人とも癖のあるキャラで、どっか壊れているというか欠損を抱えていて、その欠損で繋がっているという感じがあって、それがまた味わい深いのですが...まあそれはともかく。

結末がどうなるかはともかく、そういうわけで最初は「主人公を引っ張りまわす遊び人の友人」という役廻りだったバーニーも、第3シーズン以降「ロマンティック・リード」になることが多くて、これがまた良いのだなあ。

バーニーが切ない恋なんかしていると、今までこの男が女性関係でどんなメチャクチャをしていたかはうっかり棚上げして、つい応援したくなったりしてしまうのがこのキャラの不思議なところでして。その不思議さに比べたら、演じる俳優が実生活でゲイであることなんて、まあどーでもよいかも。

...と、「今は」思えるのですが、でも。

ニール・パトリック・ハリスが公式にカムアウトしたのは2006年11月、この番組の第2シーズン目の初め頃のことで、つまりバーニー・スティンソンというストレートのキャラを演じている「途中で」カムアウトしたわけです(まあ、スタッフとか周りの人はその前から知っていたと思いますが)。

世間にカムアウトすることで、今までと演技は変わらなくても、彼の演じている役に対する視聴者の認識が変わり、最悪、番組の失敗に繋がるというリスクは認識されていたんじゃないか...とか、まあそのへんは想像するしかないのですが...

でも結果としては、第2シーズン以降のバーニーはますます面白いキャラになっているし、番組の人気も上がったし、NPHのキャリアも、カムアウトしてからかえって急上昇した感じで、めでたいことです。

もちろんそれは本人の才能と努力に幸運も重なってのことで、誰でもそう上手くゆくわけじゃないというのはわかるんですけど。実際、ルパート・エヴェレットみたいに、カムアウトしてから役柄が限定されてキャリアにマイナスになったとして、若い俳優にカムアウトしないように勧めている人もいるし。職業上のイメージ戦略としてカムアウトしないのは、それはそれで責められることじゃないとは思うけど。

でも、イメージ戦略と言っても、トム・クルーズが身長をちょっと高めに公称していた、ぐらいのこととは訳が違うからなあ。ゲイは人口の10分の1ぐらいと言われていて(俳優の場合、もうちょっと割合多いかもしれん)、そんなに多くの人が、職業的要請で自分の生活のそれほど大きな部分を秘密にしなきゃならないなんて、考えただけで息苦しいじゃないですか。

だから、NPHのような「前例」がいるのは、すごくいいことだなあと思うのです。

NPHにハマってます&「ストレートの役を演じるゲイの俳優」論争

オープンゲイの俳優であるニール・パトリック・ハリスは、「How I Met Your Mother(ママと恋に落ちるまで)」でストレートの男を演じているわけですが、私はこの番組の現物を見るまでは、「ストレートの俳優がゲイ役を演じることも多いのだから、ゲイの俳優がストレート役を演じるのも、まあ今どきフツーだよね」ぐらいにしか思ってなかったわけです。

しかしアレ...バーニー・スティンソンという役は、単に設定がストレートってだけじゃないのよね。「とっても」ヘテロ、何しろ、誰かが止めなければ(いや止めても)、昨夜ナンパした女のオッパイについて延々と語り続けるようなヤツなんで...

でも、愛するにせよ呆れるにせよ(両方なんですが)、バーニーのキャラクターの面白さに引き込まれて、演じている俳優の性的指向がどうかなんて、たいがいは忘れているのですけど。

しかし、これがきっかけでいろいろ考えてみると、これって単に「今どきフツー」で済ませられることじゃないのかなあ、という気がしてきたのです。

アメリカのエンタテインメント業界には昔からゲイの人が多いだろうし、かなり前から特に差別もなく普通に働いていると思いますが、それは裏方のスタッフの話で、カメラの前に立つ人々...特に俳優は、ごく最近になるまでカムアウトする人は少なかった。それは「ゲイであるという『イメージ』がつくと、オファーされる役柄が限定される」という懸念からなのだと思います。

それでも、ここ5年ぐらいは俳優にもカムアウトする人は増えてきて、そういう懸念も過去のものになりつつあるのかな、と認識していたのですが...まだまだそういう問題はなくなったわけじゃないのだと改めて感じたのが昨年4月、自らもゲイであるRamin Setoodehをいう記者が「ニューズウィーク」誌に、「ゲイの俳優はストレート役を演じられない」という趣旨の記事を書いたことをきっかけに起こった論争でした。

Wiki ニューズウィーク「ゲイ俳優」論争

元記事

この記事でSetoodeh氏は、ブロードウェイの「Promises, Promises」というロマンティック・コメディ・ミュージカルで主役を演じていたショーン・ヘイズ(「ウィル&グレース」)と、「Glee」でレイチェルの恋人ジェシーを演じたジョナサン・グロフを例に挙げて(二人ともオープンゲイ)、恋人役の女優とラブシーンを演じる二人の演技が「何かを隠しているようでぎこちなく、まったく説得力がない」とけなし、「オープンゲイの俳優がストレートの役を説得力をもって演じることはできない」と結論付けています。

もちろん、この記事に対しては、ショーン・ヘイズの相手役クリスティン・チェノウズ、「Glee」のプロデューサーのライアン・マーフィー、GLAAD(中傷と闘うゲイ・レズビアン連盟)をはじめ、各方面から轟々たる反対意見が巻き起こりました。その怒涛のような反対意見の波を読んでいると、むしろ世の中(少なくとも、アメリカのエンタテインメント業界)は、Setoodeh氏の感覚よりはずっと進んでいる...あるいは、彼の主張には反する方向へ断固たる決意を持って「進もうとしている」、という強い印象を受けたのですが。

そもそも、ニューズウィーク記事の結びが「もし仮にジョージ・クルーニーがゲイだとカムアウトしたとして、今までのようにストレートの主演俳優(leading man)として受け入れられるだろうか?」という疑問だってことからして語るに落ちていて、つまり問題は俳優自身が「演じられるか」ということじゃなく、俳優がゲイだと知ることによって観客側に生じる先入観なのだということはSetoodeh氏も認めているのだな。

「そういう先入観があることが問題だ」と言うのと、「そういう先入観があるんだからゲイの俳優はストレートを演じられない」と言うのは大違いで、論調が前者だったら非難轟々になることもなかったと思うのですが。

でもどっちにしても、そういう先入観をなくしてゆく方法はカムアウトしないことじゃなくて、逆にオープンにした上でどんどんストレートの役を演じて前例を作り、観客を慣らしてゆくことなのではないかと...もちろん最初は難しいし、その「先駆者」になるのは勇気のいることですがね。

で、ニール・パトリック・ハリスに話を戻すと...

この記事が出たのは2010年、「How I Met Your Mother」は第5シーズンの終盤、すでに人気も高く、キャラもおなじみになっていたので、「ゲイの俳優はストレートを演じられない」なんて言ったら、「えー、じゃあこの番組のNPHは?」という突っ込みは必ず出てきたはずです。だからなのか、Setoodeh氏は「ニール・パトリック・ハリスやポーシャ・デ・ロッシ(エレン・デジェネレスのパートナーで同性愛者の女優)はテレビでストレートの役を演じているが、彼らの役は『カリカチュア』であってリアルなキャラクターではない(ので、数に入らない)」と書いています。

カリカチュア。たしかに、バーニー・スティンソンはコメディ的に誇張されたキャラだし、ヘテロ男性の悪いところを面白おかしくカリカチュアライズしている人物像であるのは確かなのですが...

でも、それだけじゃないのよね。

(つづく)

How I Met Your Mother(ママと恋に落ちるまで)にハマり中。(2)

「How I Met Your Mother(ママと恋に落ちるまで)」の主要キャラは男3人、女2人、「フレンズ」より一人少ない5人グループ。「運命の女性」を探すテッド、テッドの親友でルームメイトのマーシャル、マーシャルの婚約者リリー、遊び人のバーニー、初回でテッドが一目惚れしたことがきっかけで仲間に加わるロビン。

一応テッドが主人公なのですが、この番組を面白くしているのは何と言っても、ニール・パトリック・ハリス演じるバーニー・スティンソンのキャラだというのは衆目の一致するところでしょう。

多分、最初の設定では、「主人公のプレイボーイの友人」という、単なるコミック・リリーフ的役柄だったと思うのですけどね。役者が優秀だと、キャラが勝手に育ってしまうということでしょうか。

バーニーのキャラを一言でいえば、ナンパに命賭けてる男。

でも、「軽い」とか「いい加減」とかいうのとは、ちょっと違うのですよね。「命賭けてる」と言ったら、文字通り、「命賭けてる」ので(笑)。「フレンズ」のジョーイのような、立ってるだけで(あるいは「How you doing?」とか言うだけで)モテるというタイプではないので、彼がナンパに傾注するエネルギー量ときたらハンパない。彼がテッドに「教育」する様々な「必勝法」、質のよいスーツへの異常なまでのこだわり、女性をダマすために次から次へと繰り出される大げさな嘘や芝居、ナンパ相手を追っていきなり飛行機でフィラデルフィアへ飛んでしまうフットワークの軽さ...

まあでも、人間としてはかなり壊れているとは思うが(笑)

最近のエピソードでは「Sciopath(社会病質者)」とか言われてたし。

とある女性「こちらはバーニー、高機能ソシオパスで私のモトカレよ。」(第6シーズン)

また別の女性「あなたは面白いし、ハンサムだけど、はっきり言ってソシオパスだと思う。」
バーニー「長所が2つ、短所が1つだね。」

(第7シーズン)

この間見たドラマ「シャーロック」(シャーロック・ホームズの現代版)の、「ぼくはサイコパス(変質者)じゃない、高機能ソシオパスだ」というセリフを思い出した。『高機能ソシオパス』仲間(笑)。エネルギーを傾注する対象を、犯罪捜査からガールハントに変えれば... (えらい違いだが)

んで、第1シーズン15話の「バーニーの恥ずかしい告白」(Game Night)を見ると、「女たらし」という部分は、必ずしも彼の本質ではないという気もするのですよね。むしろ、対象がナンパでなくても、何でも「こうしよう」と心に決めると、「危険もまわりの迷惑も顧みず全エネルギーを傾注する」というところに、バーニーのバーニーたる所以があるので。決まった女性と真面目に付き合っていた時は、彼女に全情熱を注いでいた一方、一人でも多くの女性を落とそうと決めたら、それはそれでまたとんでもないことに...

極端から極端に走るやつなのです。

でもたまに、その「ハタ迷惑なほどに全エネルギーを傾注」する傾向が、家族への愛情や仲間への友情に向けられると、それは彼のとてつもなく優しい一面となって表れるので...憎めないのだよなあ。

とにかく、いいキャラです。他の4人、特にテッドとロビンは、最初はあまり特徴がなくて、第3シーズンあたりからようやく面白くなってきたのだけど、バーニーは初回からずっとキャラ立ちまくり。看板キャラとして番組を引っ張っている感じ。(他の4人には悪いけど、ニールは役者としての『格』が違うなあ、と感じることもしばしば...)

前にも何度か言いましたが、テレビや映画のキャラクターというのは、脚本家と役者の共同作品だと思っています。特にテレビシリーズの場合は製作期間が長いので、脚本家が書いた役を役者が演じて、脚本家がその演技からインスパイアされて次を書く、というように共同で「育てて」ゆく面が大きい...と思う。

さて、バーニーを演じるニール・パトリック・ハリスは、2006年(この番組が始まった後)に、ゲイであることをカムアウトしているわけですが...

(つづく)

How I Met Your Mother(ママと恋に落ちるまで)にハマり中。

ブログではごぶさた(ツイッターでさえごぶさた気味)です。リアルライフではまあ普通に忙しいのですが、それより、何かにハマるとそのことしか語れなくなる、という悪い(?)クセが出ておりまして。

そう、私の最新のハマりものは「How I Met Your Mother(ママと恋に落ちるまで)」というTVコメディ(ドラマ)、およびそれに出演しているニール・パトリック・ハリスなんです。

「How I Met Your Mother」(ママと恋に落ちるまで)は、アメリカで2005年から放映されているシットコムです。

「How I Met Your Mother」という番組の存在はは前々から聞いてはいたのですが、日本では放映もDVD発売もされていなかったので、見てなかったのです。それが、アメリカ版DVDを買って見ることにしたきっかけは、今年のトニー賞かなあ。ニール・パトリック・ハリスが司会で、ゲストで登場したヒュー・ジャックマンに(ウェストサイドストーリーの替え歌で)「♪Your show is "how I met your mother"...stick to your sitcom!」とおちょくられていたのが頭から離れなくて...w

いやー、トニー賞の二ールとヒューの替え歌デュエットは最高でしたねー。もう何十回見たかわかりません...と、それはともかく。それが頭に残っていたので、アマゾンで映画DVDを買うついでに、第一シーズンの BOXセットがセールになっていたのをポチってしまったわけで。

で、一旦ハマるとあとは最新シーズンまで一気。絶対こうなることが分かっているから、放映予定のケーブルTVチャンネルを契約、という方向にはゆかないのですよねー、私。ハマると待てないの!

これ、日本ではFOXチャンネルで、この秋から第1シーズンから放映しているようですが...そんな悠長なことしてないで、1日2エピソードぐらいを連日で一気にやっちゃえばいいのにねえ。ネタバレ語りができなくて辛いよ。

「How i met your mother」は、ニューヨークを舞台にした、20代後半から30代前半の男女グループの恋愛を描いたコメディってことで、まあ、「フレンズ」と重なるところが大きいですね。

実際、「フレンズ」のこととなるとほぼ全てのディテールを今でもしっかり記憶している私は、これを見ていて「あ、この設定は『フレンズ』のXシーズンのXX と同じだわ」ということが多いのですが...例えば、バーニーが「大会社で広いオフィスを持っているが、具体的に何の仕事をしているのかは誰も知らない」というのはチャンドラーと同じだし、リリーが失業して、恥ずかしいコスチュームを着なければならないテーマレストランのウェイトレスをして、それを仲間がからかいに行くのは第3シーズンのモニカだし、テッドのミドルネームが女性名なのはチャンドラー、バーニーが「世界各国の女性、少なくとも一人づつと寝る」という目標を立てて世界地図に印つけてるのはたしかジョーイも同じことをやっていた、とか...(他にもまだまだありますが、きりがないのでこのへんで。)

でも、やっぱりまるきり同じというわけではなくて(当たり前だが)、シーズンを重ねるうちに違いもきわだってきている。まず感じるのは、「ママと...」の方がセックス関係の話がよりあけすけというか、はっきりというか、ミもフタもなく描かれているということ。ネットワーク局の番組での描き方のコードも、やはりだんだんゆるくなってきているのか、「Sex and the City」(これはケーブル局HBOの番組)の影響が大きいのか...

いや、もしかしてセックス関係がミもフタもないのは、ひとえにバーニー(ニール・パトリック・ハリス)のキャラの影響かもしれんが...その話は後で。

あと、これは「2030年、十代の子供二人の父親である主人公のテッドが、子供たちに彼らの母(自分の妻)との出会いを語る」という形式になっているので(「How I Met Your Mother - ママと恋に落ちるまで」という、日本語にするとちょっと妙な題名はこれが由来)、それを利用して時制をいじるというか、フラッシュバックやフラッシュフォワードを駆使した語りが多くて、それがなかなか面白い効果を出しています。話の結末から語りだしたり、何かを語りかけて「いや、その話は後で」と気をもたせたり、ひとつのエピソードを各キャラの視点で数回語りなおす「羅生門」な構成になっていたり。このへんは「フレンズ」にはなかった味だなあ。

...待て、「父が子供たちに語る物語」で、かつ「セックス関係の話があけすけ」というのは、考えてみれば問題じゃないのか...?どういう父親なんだテッド?(笑)

(つづく)

【映画感想】シングルマン ☆☆☆☆

(あらすじ)1962年。カリフォルニアの大学で教鞭を執る英国人の文学教授ジョージは、16年間連れ添った恋人ジムの事故死から立ち直れないでいた。ある日彼は、静かに念入りに、身辺の整理を始める。

はじめは、私は軽薄だから、あまりに素敵な1960年代のインテリアや男性ファッションについ見惚れて、ストーリーから気がそれてしまう、と思っていた。

でも、見終わってみると、そのファッションやインテリアこそが、ストーリーを雄弁に語っていたのだと気づく。

彼の家は、16年間、恋人と二人で作り上げてきたものなのだろう。カーテンの色、カーペットの色、家具、飾ってある小物のひとつひとつを二人で選んで。服も、お互いのものを見立て合ったり、プレゼントを交換したり。恋人の趣味が良いことを喜び、互いのセンスがぴったり合っていることに感嘆しながら...

二人で念入りに作り上げた心地よく素敵なライフスタイルの中に、ひとり取り残された男。その完璧な美しさが、じわじわと彼を殺してゆく。

一緒に飼っていた(恋人と一緒に交通事故で死んでしまった)犬と同じ種類の犬を通りすがりに見かけ、飼い主がけげんな顔をするのもかまわず、愛しげに抱きしめるシーンが、たまらない。

1962年という時代設定にも意味がある。社会的地位のある彼には、男性の恋人の死を、まだ公に嘆くこともできない。そのことは明らかに大きな影を落としている。またちょうどキューバ危機で、アメリカ人の多くが「すぐにも核戦争が起こるかもしれない」とかなり本気で心配していた時代。「死」が、空気の中に満ちている。

意識するかしないかは別にして、人間は誰でもみんな「死に向かって」生きていると言えるわけだけど、この映画はとりわけ濃密に、「死に向かう生」が意識されている。なのに不思議と暗くない。...いやまあホントは暗いけど、見ていて辛くはない。悲しい話なのだけど、主人公がどっちに向かうにせよ「解放」に向かっていると感じられるからかな。

【映画感想】宇宙人ポール ☆☆☆☆

と、ついでに

ショーン・オブ・ザ・デッド」☆☆☆☆
ホット・ファズ」☆☆☆☆

【あらすじ】英国人のグレーム(サイモン・ペグ)とクレイブ(ニック・フロスト)は、SFオタクで親友同士。休暇を取って、カリフォルニアのサンディエゴでコミ・コンに参加した後、キャンピングカーを借りて、アメリカ西部のUFO伝説の地をめぐる旅に乗り出した。しかし、エリア51を訪れたその夜、とんでもないヒッチハイカーを拾ってしまい...

12月に日本公開になるようですが、待ちきれないので見ちゃいました。いやー面白かったです!

主演のサイモン・ペグとニック・フロストは、「ショーン・オブ・ザ・デッド」ではゾンビ・ホラー映画の、「ホット・ファズ」ではポリス・アクション映画の傑作パロディに出演したコンビ。

ショーン・オブ・ザ・デッド」にせよ「ホット・ファズ」にせよ、単に「パロディ」と言ってしまうのは躊躇するのですけどね。監督の、そのジャンルに対するコダワリがあまりに凄くて、これはまず立派な「ゾンビ映画」&「ポリスアクション映画」であり、パロディ・コメディの要素はプラスアルファなんじゃないかと、ちょっと言いたくなるほどに。

DVDで「ホット・ファズ」の音声解説を聞いたのですが、監督の古今東西のアクション映画に関するオタクっぷりがあまりにあまりで、思わず笑いましたもの。

でももしかしたら、パロディってそんなものなんじゃないのかなーと私は思ってます。「ミステリのパロディは、ミステリでなければならない」と言ったのは小林信彦さんだったと思いますが、アクション映画のパロディは、アクションシーンもアクション映画並みにカッコよくスピード感よく演出されていなければならないし、ホラー映画のパロディは、ホラー映画としてちゃんと怖くなくてはならない。

これは前にも書いたけど、ファッション業界をおちょくる映画なら、一流ブランドの本物の最新モードを出さないといけないし、音楽業界をおちょくるなら、劇中の音楽は本当に大ヒットしておかしくないぐらいのものじゃなくてはいけないし...

だからコメディは、二倍難しいのだ!と主張してみる。

と、ここまで書いたところでワイン2杯飲んじゃったので続きは次回。

(最近、書くの遅くてすみません...)