【読書感想】Bloody Jack ルイス・A・メイヤー

Amazon: Bloody Jack: Being an Account of the Curious Adventures of Mary "Jacky" Faber, Ship's Boy, Louis A. Meyer
「ブラディ・ジャック 少年水兵、メアリー・"ジャッキー"・ファーバーの奇妙な冒険の報告であります」

1797年、ロンドン。メアリー・ファーバー(8歳)の失業中の教師であった父が伝染病で死に、男たちが来て死体を運んで行った。翌日、彼らは母と妹の死体を運び出し、メアリーを家から放り出した。妹の死体を運んで行った「マック」(Muck)と呼ばれる男は、「近いうちにおまえも連れに来る」と言った。

4年から5年後、メアリーはまだ生きていて、物乞いとかっぱらいをしながら孤児仲間と橋の下で暮らしていた。メアリーの孤児仲間のリーダーである「雄鶏のチャーリー」は、孤児の死体を集めては解剖用に医者に売っている「マック」を(まあ当然のことながら)憎んでいた。彼は「中間業者を省く」と言って、医者に直接自分の身体を売って前金を得ようとしたが(まあ当然のことながら)追い返される。気候のいい日が続いて、死体が手に入らなくなった『マック』は苛立っていた。

ある夜、メアリーは暗い路地でチャーリーが殺されているのを見つける。ひとしきり泣いた後、彼女は髪を切り落としてチャーリーの服とナイフを身ににつけ、テームズ川沿いを海に向かって歩き始めた。

港では、英国海軍のフリゲート艦「ドルフィン号」が数人の少年水兵を募集していて、孤児がたくさん集まっていた。船乗りが「おまえら、何ができる?」と聞き、「ロープの組継ぎができます!」と叫んだはしっこい少年が採用される。乗せてもらおうと必死の孤児たちは口々にいろいろ叫ぶが、相手にされない。他に思いつかなかったメアリーは「おれ、字が読めます!」と叫ぶ...

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いや〜、面白かったです!ロンドンの街で餓死寸前だった孤児の女の子が、男の子のフリをして「少年水兵」として軍艦に乗り込む波乱万丈の物語ですが、最初から最後までユーモアがあふれた楽しい小説です。

え、上にざっと書いた悲惨な導入部の、どこにユーモアがあるのかって?うーん...でも、あるのですよ。まあ、「オーブリー&マチュリン」シリーズで、ドクター・マチュリンのロンドンでの住居である「グレープス亭」の戸棚から「解剖用に買った孤児の死体が転がり出たり」するのでメイドが掃除をいやがる、なんていうエピソードに慣れてる人なら...

なにしろ、第1章の最初からいきなり、はしっこくてたくましい少年が、「自分の身体なのに、(解剖用に)売った金を自分で楽しめないのはおかしい」と主張するシーンなのですから。ブラック・ユーモアですけどね。でも、かわいそうにチャーリーくんはこれがきっかけで死体売りの「マック」とトラブルになり、多分そのせいで命を落とすのですが。(あ、マチュリン先生、「マック」から死体買ったりしてないでしょうね?うーん、時期的に言ってあり得るしなあ...)

主人公のメアリーは「ジャック」と名乗ってドルフィン号に乗り込むのですが(子供なのでジャッキーと呼ばれる)、本当は12〜13歳(<自分でもはっきりしない)なのに、体が小さいので「10歳の男の子」ということにします。一緒に少年水兵になった子供たちは(6人中5人が孤児)、当初はみんな骨と皮のガリガリなんで、大事なところさえ隠していれば男も女も区別つきません。

ホーンブロワートマス・キッドは軍艦に乗り込んだ当初は非常に苦労しますが、ジャッキーにとっては軍艦はパラダイス。なにしろ三度三度食事が出るし、親切な水兵がいろいろ教えてくれるし、日曜の夕方には歌やダンスのお楽しみもあるし、その上、給料までもらえるなんて!もちろん仕事はたいへんだし、いじめっ子の士官候補生に殴られたり、タチの悪い小児性愛者の水兵に目をつけられたりと苦労はあるのですが...餓死か凍死して「マック」に売られてドクターの標本になるか、それとも窃盗罪で縛り首になるか、というロンドンのストリートに比べたら、ものの数ではありません。

艦の日常生活、艦内の人間関係、甲板での歌とダンス、砲撃訓練、海戦、拿捕賞金、上陸休暇、無人島、遭難...と、海洋小説でおなじみのシチュエーションが網羅されていて、ただそれが少年水兵(ship's boy)という、軍艦内で最下層の人間の目から描かれているところが違います。もちろん、その「少年水兵」が女の子だってことも。

孤児だった男の子が、少年水兵として軍艦に乗ったとたんに栄養状態が良くなってみるみる背が伸びた、なんて話を聞いたことがありますが...あいにくジャッキーは女の子なので、背が伸びるかわりにあちこち丸みをおびてきて、生理も始まったりして、どうやって切り抜けるのか?どこまでバレずに押し通せるか?というのがスパイスになっています。

女の子が男のフリをして...というのは少女漫画の定番で、「リボンの騎士」や「ベルサイユのばら」や(まあ、オスカルは女性であることを秘密にはしていませんが)、氷室冴子の「ざ・ちぇんじ」(平安文学「とりかえばや物語」を現代風にアレンジしたもので、漫画にもなっている)などが思い浮かびますが、ジャッキーはそういうヒロインとはちょっとタイプが違う感じ。

どこが違うかというと、まず第一に、オスカルたち貴族のお嬢様方と違って、ジャッキーは最下層のビンボー人だってことですね。男のフリをするのに、誇りだ家の名誉だ自由だアイデンティティだというややこしい問題がなくて、とにかく「生き残るため」というゆるぎない基盤があるので、いっそさっぱりしている。

でも、ジャッキーにはジャッキーなりの誇りがないわけじゃなくて...最初はとにかく三度の食事が確保されていることに喜んでいたジャッキーですが、人の情けにすがったり犯罪に走らざるを得なかったロンドンの路上と違って、軍艦の上では、一番下っ端の少年水兵であっても、まっとうに仕事して、自分の食いぶちを自分で稼げる。それだけのことがどんなに嬉しいか。序盤の艦上生活の描写には、彼女のそういう喜びが溢れていて、「新入りにとっては軍艦は地獄」というのを読みなれていた身には新鮮でした。

この小説は主人公の一人称です。ジャッキーの喋り方は、ロンドンのブロークンな下町言葉から、だんだん文法の正しい普通の英語になってくるのですが(でも、動転すると元の喋り方に戻るのがかわいい)...それと同時に、彼女の内面の成長ぶりが、ページを追うごとにはっきりと文章に表れいてるのが素晴らしいところです。

ジャッキーは性格的にも、少女漫画のヒロインやファンタジーの女戦士タイプとはだいぶん違う。実は、一番雰囲気が似ていると思ったのは、ジャネット・イヴァノヴィッチの「ステファニー・プラム」なのです。基本的に良い娘で、頭も良くて機転がきくけど、実は勇敢というわけじゃない。あんまりシリアスなタイプでもなく、けっこう目立ちたがりで、楽しいことが好きで、男に惚れっぽい(笑)。状況のシビアさはだいぶん違うとはいえ、ステファニーもリストラされて、食べてゆくために仕方なくバウンティ・ハンターになったんだし。まあ、ジャッキーの少年水兵ぶりは、ステファニーのバウンティ・ハンターぶりよりはずっと立派なのですが...

特にいいのは、自分を笑えるユーモアのセンスがあることで...「女を士官候補生に昇格させたと世間に知れたら、艦長はどんなに赤っ恥をかくだろう」と心配しながらも、艦長をからかう新聞の風刺漫画の図柄がぱっと思い浮かび、「これはイケるかも。漫画の描き方を習おうかなあ」などと考えているところ、笑ってしまいました。

作者のルイス・A・メイヤーはベトナム戦争当時海軍にいたそうで(そんな年配の男性だったとは意外ですが)、またホーンブロワーやオーブリー&マチュリンも愛読しているそうで(やっぱり!)、海戦やら遭難やらのおなじみのシチュエーションに加え、映画版「マスター&コマンダー」の「カラミー士官候補生の初指揮艦」とか、オーブリー&マチュリン9巻の「ドクターのダイビング・ベル」とかを思わせるエピソードもあって、お楽しみ。

「ヤング・アダルト」向きなので英語も簡単で、原書読みにもオススメです。もしかして、難物のパトリック・オブライアンに挑戦しようと思っている方は、まずこちらで慣れておくのも手かもしれない。最初の方の文法の正しくない下町言葉はちょっとやっかいですが、すぐにまともな喋り方になるし。

シリーズものの1巻だけに、いろんな要素をこれでもかと詰め込んである感じで、すごい充実ぶりでした。続刊ではこのペースはどのぐらい維持されているのか...楽しみです。