ビル・モイヤーズによるジョン・スチュワートのインタビュー(3)

余談:えーと…私は毎日「The Daily Show with Jon Stewart」と「コルベア・レポー(ト)」を見てゲラゲラ笑っているのに、どうしてここに訳して載せるのはこういう比較的真面目モードのものが多くなってしまうのかというと…こういうシリアスな文は、「訳すだけで通じる」から、ある意味やりやすいのです。これが「The Daily Show」のギャグとなると、なんで笑えるのか説明するのに3つも4つも解説が必要だったりするので…要は、面白さを伝える自信がないんですね。

私自身は昔から、ギャグの文化背景について3つも4つも解説が必要でも、それが「かえって面白い」と思ってしまう特殊体質のヒトなんですが…やっぱり変わってるんでしょうね、これって…

あ、ところでビル・モイヤーズさんは来週水曜日に「The Daily Show」のゲストで来るみたいです。

<トランスクリプト全訳 3/3>

ビル・モイヤーズ:あなたは純真さを失ったと思いますか?

ジョン・スチュワート:何ですって?えーと、あれは1981年の、大学のクラブのパーティで…すみません(笑)。出来過ぎた言い方かもしれませんが、人が純真さを失うのは子供を持った時だと思います。子供を持つと、世界は突然、ずっと危険なところになる。それに…人間ひとりひとりというのがどんなに壊れやすい、もろいものなのか実感するし、人が集まった時の強さを感じるようになるけれど、もうそれはどうでもよくなる。ひとつのことだけのために戦うようになる。それに、人間は誰でも、誰かの子供だということを実感するようになる。つまりそれは…劇的な変化です。

モイヤーズ:お子さんたちはおいくつですか?

スチュワート:二歳半と、一歳二ヶ月です。

モイヤーズ:その時期ですね、あなたが…自分では気づいていないかもしれないけれど、我々は気づいています…スタンダップ・コメディアンから、真面目な社会・政治評論家に変化したのは。

スチュワート:ぼくは自分が真面目な社会・政治評論家だとは思っていません。

モイヤーズ:でも、私はそう思っています。私はあなたの番組の視聴者ですよ。

スチュワート:あなたたちみたいなトートバッグを抱えて歩くことになるのかな。大事なのは…ぼくは「自分が何者か」とか、「自分たちの仕事はどういう意味を持つか」なんて考えて時間をすごすことはないってことです。その時間を、実際に仕事をしてすごす。謙遜しているわけじゃないし、自嘲的になっているわけでもありません。

つまり…目の前の仕事に集中して、できるだけよい仕事をしようとしています。常に進化させている。これは、ぼくが感じている割り切れない感情に意味を持たせる、ぼくなりの方法だからです。

モイヤーズ:先日、元イラク政府高官のアリ・アラウィへのあなたのインタビューを見ました。これはバージニア工科大学の乱射事件の直後だったのですね。いつものデイリー・ショーの軽い会話ではなかった。

THE DAILY SHOW WITH JON STEWART のクリップ】

ジョン・スチュワート:これは個人的な考えで、ここで話すのが適切かどうかもわからないんですが…この国では、ある大学でとても悲劇的な出来事が起きました。国中が驚き、悲しみに沈んでいるところで…喪に服し、犠牲者について知って、支援の気持ちを表すにはどうしたらいいか考えているところですが…どう言ったらいいかわからないのですが、あなたの国はこのような惨劇が毎日のように起きています。嘆きに対処する方法があるのですが?それとも麻痺してしまう?どうなんでしょう?

アリ・アラウィ:ええ、イラクでの暴力のスケールは、あなたの国の感覚ではとても認識できないでしょう。

スチュワート:その通りです。

アラウィ:先日バージニア工科大学で起きたようなことが、わが国では毎日起こっています。毎日、同じぐらいの犠牲者が出ているということです。ちゃんと嘆くことさえ難しくなっている。ほとんどの人が選ぶのは、ただ国を出てゆくという方法です。非常に大きな難民問題が起きています。200万人近いイラク人が国を去り、国内の難民問題もあります。住むところを失った人が多すぎるのです。

しかし、暴力の規模の大きさと、絶え間なく続くということが、人を麻痺させています。例えば私自身の場合ですが、私が政府のさまざまな役職に任命した人々のうち、六人が亡くなっています。一人は私の事務長でした。私の警備員たちの中に、爆弾を抱えた自爆テロ犯が歩いてきたこともあります。この危機の影響のひとつは、非常に深刻な心の問題が起きているということです。

スチュワート:ええ、本当に、想像に余りあることです。(バージニア工科大の乱射事件については)大量の情報があって、今は悲しみに包まれているところですが…今日、新聞の見出しで(イラクで)150人もの人が殺されたと読んで、ひどく胸が痛みました。どうやって対処しているのか、想像もできないということが。

【クリップ終わり】

モイヤーズ:見ていて、「スチュワートに何かが起こっている。」と思いました。何だったのですか?

スチュワート:えーと、まず…番組を作る時にはプロセスでは、常に、その時の社会状況に影響されるわけです。あの時は国中が喪に服している状態でしたが、個人的にも、一日中悲しみと戦っていたわけです。ぼくたちの番組はニュースのサイクルを追う義務を感じていません。つまり、この事件を取り上げる義務はないわけです。ジャーナリストじゃありませんから。その時点では、あの事件に関して言えるような可笑しいことや馬鹿馬鹿しいことは何もなかったし。

でも、逃れようのない悲しみは自分自身の中にあるわけです。そして、ぼくがインタビューしているのは、イラクで暮らした経験についての本を書いた人です。この事件のような暴力を、彼自身言っていたように、想像もつかないスケールで経験してきた人です。その対照が、どうしても頭から離れなかった。

でも、ぼくの仕事はそれを忘れて、演じることです。番組はパフォーマンスであって(自分の感情を出すことではないので)…たとえば、もしぼくがある日、「ぼくはただ座りこんで落ち込んでいるから、30分間一緒に嘆いてくれますか」と言ったとしたら、そりゃあんまり面白い番組にはならないでしょう。

モイヤーズ:観客は満足しないでしょうね。人は多くを期待するようになっている…でも、あれはパフォーマンスではありませんでした。彼(アリ・アラウィ)と共感する悲しみと戦っていらしたときは…

スチュワート:共感…そうですね。ぼくは、彼との会話は意味のあるものだと思ったのです。思ったのですが…ぼくは一日中インターネットのニュースを読んでいて、バージニア工科大学の記事は大量にあったわけです、当然のことですが。でも、ずっと下の方の小さい記事で、イラクで4回の爆発があって200人が死んだという記事を偶然に見つけたのです。それで、国内で起こっていることに気持ちが集中しているのに対して、これはほんの偶然に目に入って「ああ、そうか、そういうこともあったんだ」という感じで…その瞬間、罪悪感を感じたんです。

モイヤーズ:罪悪感?

スチュワート:彼らの苦しみに対して、毎日毎日共感しているわけじゃないってこと対して。時々、そうすべきだと感じるんですが。

モイヤーズ:現実世界の恐怖について、私はドキュメンタリーで報道し、あなたがユーモアで包んで伝えていますが…それが人々に無力感を植え付けていると感じたことはありますか?

スチュワート:いいえ。まあ、分かりませんけど…人がどう感じているかは、ぼくには分かりません。それがテレビのいいところで、向こうからはこっちが見えるけど、こっちからは視聴者は見えない。我々が何かプラスになることをしているとしたら、ある特定の視点から、いくらかでも脈絡をつけることです。で、願わくば、パズルのような状況にその脈絡が加わることで、より大きな状況が見えるようになればと。

でも…ぼくは、人々が感じているのが絶望だとは思っていません。もし、ぼくたちと同じようなことを感じているとすれば…これが反撃の方法だということです。ぼくは、自分に才能があると思える方法でしか反撃できない。自分ができるのはこれだけだと感じていて…ぼくはいろんな仕事をクビになりましたから、これは自信を持って言えますが、ぼくが他の人よりちょっとでも上手くできるのは、ユーモアによってその脈絡を創ることです。それが、絶望感や無力感を感じないでいるための、ぼくなりの方法なのです。

モイヤーズ:民主党が(2006年中間選挙で)議会で過半数を得てから、ワシントンはジョークのネタとして改善しましたか?

スチュワート:ぼくらにとっては楽しくなりましたね。毎度同じような、筋の通らないゲームには、もううんざりしていますから。

モイヤーズ:そうですね。先日、民主党の「いかにして戦争に負けるか」という討論について、あなたの番組がやったセグメントを見ました。

スチュワート:ええ、それです。もう6年も経っていて、ぼくらはくたびれてきています。新しいゲームになるのを楽しみにしています。何か、新しいことを…この期間で楽しかったのは、スティーブンの番組(The Colbert Report、2005年10月開始)を始めた時だけです。あれで新しい視点が加わった。それに、あの番組もぼくらの番組(The Daily Show)ともとは同じ素材を使っていますから、視点が新鮮になったし、ある意味、ぼくらの考え方を補完してくれました。でも…

モイヤーズ:私を特派員に採用してくれればいいんですよ。

スチュワート:あなたなら喜んで特派員に採用します。

モイヤーズ:雇ってくれますか?

スチュワート:言っときますけど、給料は安いですよ。

モイヤーズ:まあ、今だって公共放送ですから。どんな仕事をすればいいんですか?シニア「年寄り」特派員になりますか?それとも…

スチュワート:ぼくのオフィスにただ座っていてもらって、ぼくが入って行くと、こうやって…(重々しく首を振る)『今のはひどかった』と…

モイヤーズ:番組を見ている時にいつもやってますよ。ありがとうございました。

スチュワート:ありがとうございました。感謝します。

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このセグメントの最初の、「子供が生まれると、世界は突然ずっと危険なところになる」というのと、「人は誰でも誰かの子供なのだと実感するようになる」という言葉が印象的でした。

ふつう、評論家が政治的意見を言うにせよ、トークショーホストがジョークを言うにせよ、たいていの場合、その言葉とその人自身というのは、ある程度切り離して考えるのですが…ジョンの場合は、「素」の人間としての彼と、テレビに出て(ある程度)演技している彼と、彼の政治とかいろんなことに対する考え方と、そのジョークと…なんというか、すべてが境目なく有機的に繋がっている感じがあるのです。

モイヤーさんは、子供が生まれた時期にジョンが「変わった」と言ってますが…そういえば、長男のネイサンくんが生まれたのが2004年7月で、いろんな意味で転換点になったと思われる「Crossfire」の件(3/4のエントリー3/6のエントリーを参照)が2004年10月。本人が変わったと思っているかどうかはともかく、周りの見る目が変わったことはたしかなんでしょうね。

スタンダップ・コメディアンから、真面目な社会・政治評論家に…コメディアンが政治評論家より「下」であるかのような言い方が気に入りませんが(笑)、ま、悪い意味で言っているんじゃないんでしょう。

で、以下は私の個人的意見ですが…

どんなジャンルの人でも(あるいはテレビ番組でも映画でも本でも)そうですが、あるレベルを超えると、既存のカテゴリーで定義するのが難しくなるんじゃないのかなあ、と思います。言わば、その人自身がひとつのカテゴリーになってしまう。

だから、「ジョン・スチュワートは『ただの』コメディアンなのか、ジャーナリストや政治評論家(pundit)でもあるのか」とか、「The Daily Showはコメディ番組なのかジャーナリズムなのか」とかいう議論には、あんまり意味がないんじゃないかと思うのです。(インターネット上をちょっと検索すれば、その手の議論はそれこそ山のようにあるのですが。)

The Daily Show」でモイヤーさんがやるとしたら、「テッド・コッペルの巨大頭」「ブライアン・ウィリアムズの巨大頭」みたいな役になるんでしょうか。(二人とも一流の本物ニュースキャスター。時々スクリーンに「巨大頭」として登場してジョンを叱ってゆく、という役どころ。)ここまであからさまにファンだということを見せてしまっていると、難しいかと思いますが(笑)。

The Daily Show with Jon Stewart 2007/6/6
テッド・コッペルの巨大頭:ゲストの本は、斜め読みじゃなくてちゃんと読まないといかんよ、ジョン。

The Daily Show with Jon Stewart 2007/4/10
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