ラリー先生とハック・フィンの冒険(The Daily Show)

今週はThe Daily ShowとThe Colbert Reportはお休みなので、またデイリーショーネタで久々のブログ更新。(いや、TDSTCRがある週は見る方が忙しくて...と言い訳。)

ちょっと古い話題になってしまいましたが、「ハックリベリー・フィンの冒険」の改変問題です。

The Daily Show with Jon Stewart Mark Twain Controversy 2011/1/11

「ハックリベリー・フィンの冒険」はアメリカ文学の名作ですが、現在では禁句中の禁句であるアフリカ系に対する差別表現が、何しろ150年前の作品なもので山ほど出てくるので、それがネックとなって学校で教えることができず、場合によっては図書館から排除されたりもしています。そこで学校用に、この差別用語をすべて「奴隷(slave)」という言葉に置き換えたバージョンが出版され、論議を呼んでいるという件。

この問題について、デイリーショーの「シニア黒人問題特派員」ラリー・ウィルモア先生が語ります。待ってました!

ここで「先生」と呼ぶのはですね、つまり、ことこの問題に関しては、彼の知見を全面的に信頼しちゃってますよ、という意味です。(でも、ジョンの知見も、いろんな事柄で信頼しているけど、ジョンのことは「先生」とは呼ばないな。やっぱり愛してるからかな。(はいはい))

えーと、本題に入る前に、うざいかとは思いますが、差別用語に関する私の考えを少し。私は、過去に差別的意味を含んで使われてきた言葉があって、それを被差別側の当事者が「不快だ、使わないでほしい」と言った場合、使わないようにするのは文明人として当然のことだと思っています。「元々の語源はそういう意味ではないから構わない」とか「言葉狩りはよくない」とか言う人には、賛成できない。

ただし、それは「これからは」使わないようにしよう、ということであって、過去の作品にそれを適用して改変してしまうのは、ちょっと話が違う。過去の作品の文学的価値を損なうということもあるのですが、むしろそれより問題なのは、その作品が書かれた時代には確かに存在した差別を、言葉を消すことによって「なかったこと」にしてしまうことになりかねない、ということなのではないかと。

前置きはこのぐらいにして、ラリー先生、お願いします。

ラリー・ウィルモア先生:(拍手しながら)昇進おめでとう、ジム!Ni**erから奴隷に、たいへんな出世だね!番組がWBからUPNに移ったみたいだ。

ジョン・スチュワート:この新版の編集者は、この本をもっと親しみやすくしたかったのじゃないかな...学校で教える時、不快な思いをする生徒もいるかもしれないから...つまりニ...という言葉が繰り返されると...

ラリー:何?

ジョン:つまり、クラスで朗読するとき、子供たちが言わなくてすむから、ニ...と...ニー...ヌー

ラリー:はっきり言ったら?!

ジョン:ニ...だから不快なの!

ラリー:だから、不快で当然なんだよ!マーク・トウェインがNワードを使ったのは理由があってやったんだ。これは人間を人間扱いしない呼び方だ。「奴隷」っていうのは、ただの職務記述じゃないか!【観客、ひきつり気味の笑い】それに正確でもない。本の中で、ジムは逃亡したんだからもう奴隷じゃない。トウェインが言いたかったのは、奴隷であることからは逃げられても、Nig**rであることからは逃げられないってことだよ!

ジョン:でも、多くの高校では、この言葉があるためにこの小説を教えることがまったくできないんだよ。変えることで、子供たちを名作文学に触れさせることができるなら...

ラリー:ああ、でも、これが歴史なんだよ。無難に変えたいんなら、いっそもっと変えれば?この挿絵は失礼だよね、ジムはどうしてこんなに貧乏そうなんだ?(筏がモーターボートに変わる)ああ、いいね!服ももっときれいにしようか。うーん、男と小さい男の子が二人きりってのはちょっとキモいね。ハックを女の子にしようか。だいぶ良くなった。(「タイタニック」の二人に変わる)カンペキ!ほら、ジムは奴隷じゃない、「世界の王者」だ!つか、もう喋る動物に変えろよ!これでよし。ハックリベリー亀とニガーウサギの冒険なら、だれも気を悪くしないだろ!

ジョン:どっちの動物がどっちか、どうやって判断するの?

ラリー:そういう問題じゃない。その言葉を使うこと自体が、今の子供たちにとってこの本を差別的にするわけじゃないよ。今の子供は言葉自体には慣れてる。むしろ、子供たちに興味を持たせたいなら、強調したらいいよ。表紙をもっとヤバくして...(ヒップホップアルバム風になる)「リル・トウェイン」著だ。ヤング・アダルトのベストセラーになるよ。

ジョン:君はジムのキャラクターに、とても感情移入しているようだね。

ラリー:そうしないと、ジムのキャラが完全に消されてしまうからね。

ジョン:いくらなんでもそれは無理だろう?

ラリー:それが、もうやってるんだよ。1950年代のテレビムービー版だ。ジムのキャラクターを完全に消してしまったんだ。ただの筏に乗った悪童の話だ!何やってんだよ1950年代?!

ジョン:われわれは、歴史を都合良く隠蔽したい気持ちを克服できるかな?

ラリー:この議会が続く間はだめだね。先週、開会にあたって憲法を読んだのを憶えてる?奴隷の人間としての価値は5分の3、という項目を飛ばしたんだ。ヘイ、それは歴史だよ。あんたらは、それを読むところをC-SPANに中継されるのが恥ずかしいかもしれないけど、おれたちは平気だよ。この国には傷がいっぱいあるけど、化粧で塗り隠さなくてもいいんだよ、アメリカ!まだモテるって。金持ちだからね!

さて、私がこの件に関して、なぜラリー・ウィルモア先生の知見を伺いたかったかと言いますとね、この「ハックルベリー・フィン」問題は、日本でもすこし話題になっていて、みなさんこの改変に反対で、そういう検閲は良くない、過去の文学を現代のPCで損なうのはよくない、という意見が多かったように思います。

まあ、私もだいたい、その意見に賛成なのですが、しかし...少しひっかかるのは、黒人に対する現実の差別とか、いろいろな文化における差別表現とか、それをイマイチ「肌で」分かってるとは言えない我々が、そういう判断をすること自体どうなのかなあ、ということなのです。「ちびくろサンボ」の問題のときもそう思ったのですが。

それに関連して、ラリー・ウィルモアの以前のセグメントで、「ブラック・フェイス」(黒人以外の人が顔を黒塗りして、黒人のマネをしてパフォーマンスすること)についての非常に面白いものがあったので、合わせて紹介したくなりましたんで...この項は続きます。(いつもダラダラと長くてすみません。)