【読書感想】ポジティブ病の国、アメリカ バーバラ・エーレンライク

原題:BRIGHT-SIDED How the relentless promotion of positive thinking has underminde America
(ブライト・サイデッド ポジティブ・シンキングの執拗なプロモーションがいかにアメリカを蝕んだか)

この本を読みたいと思ったのは、例によって「The Daily Show」の著者インタビューが理由でした。

The Daily Show with Jon Stewart 2009/10/14 Barbara Ehrenreich

第1章 微笑みで死を遠ざける?-がんの前向きなとらえ方

この章では、著者の個人的体験-乳がんと診断された時のことが書かれています。

乳がんと診断された検査室で、壁に張られた「ピンクのバラのイラストの添えられた、『今日、あなたのために祈りました』という詩」や、置かれていた雑誌にあった、「ピンクの乳がんティディベアの広告」を見た著者のパニックが書かれています。

「私も、初めて経験する強烈きわまりない切なる望みのために祈った。サメに噛まれて、雷に打たれて、スナイパーに打たれて、あるいは車にひかれて、すっぱりと、尊厳をもって死にたい、と。通り魔に切り刻まれて死ぬほうがまだましだ、と私は心のなかで懇願した-どんな死に方でもいいが、あのティディベアに象徴される甘ったるい、べたべたした感傷や、更衣室の壁から発散されるものにじわじわと窒息させられるのはごめんだった。死ぬのは仕方がないと思ったが、ティディベアを抱きしめたりやさしい微笑みを浮かべたりして死にゆくべきだという考え方は、たとえどれほど人生を達観していても、受けいれる気になれないものだった。」

このくだりを読んで、私はこの著者が大好きになりました(笑)。

そして、役に立つ情報を集めようと、同病の患者たちのフォーラムをのぞいた時の違和感。日本には「同病相憐れむ」という言葉があるけれど、アメリカは相憐れんでちゃあかんのですね。あくまで「ポジティブに」励ましあう姿勢。病気のおかげで、周りの人のやさしさに気付き、人生の素晴らしさを前より感じるようになり、病気前より良い人間になりました。今では、乳がんになったことに感謝しています!みたいな。場合によっては、それも役に立つ考え方なんでしょうけど...

「前向きにとらえて元気にふるまえば、病気にもよい影響を与える」という考え方は、「病気が悪化したのは本人が『ネガティブ』なせい」という考え方と表裏一体。私が「病は気から」という言葉が嫌いなのはそのせいです。

第2章 望めば何でも引き寄せられる?

この章は、「ニセ科学」としての「ポジティブ・シンキング」の話。

「ポジティブに考えれば金持ちになれる」というのは、単に「ポジティブに元気にふるまえば人間関係もうまくゆくし自分もやる気が出て仕事にプラスになり、結果として金が稼げる」ぐらいの意味かと思っていたのですが...

現在アメリカで一大産業になっている「ポジティブ・シンキング」産業(自己啓発本、DVD、コーチング、セミナーetc)では「自分がそれを成し遂げられると強く念じれば、その思考そのものが現実世界に影響を与えて実現に向かう」と教えているようです。それは「引き寄せの法則」と呼ばれ、量子物理学とかも引き合いに出されて「科学的に実証されている」ということになっているらしい。もちろん、さっぱりわからん理論ですが。

第3章 歴史からみる、アメリカ人が楽観的なわけ

この章は非常に面白い。アメリカの思想史を簡単に説明し、なぜ「ポジティブ・シンキング」がアメリカでこれほど根付いたかを検証している。

大ざっぱに言えば、アメリカを建国した人々の主流的思想だったカルヴァン派プロテスタントの思想というのは、究極のネガティブ・シンキングなのですな。つまり、「常に厳しく自分を監視し、自分の短所と罪を見つけ出して反省しろ。人生に快楽を求めるな、欲望を持つな、それは罪悪だ。幸福を求めず、ひたすら働け。さもなきゃおまえらみんな地獄行きだ。」というもの。

これに対して、19世紀に「ニューソート」という新しいキリスト教思想の形で生まれた「ポジティブ・シンキング」は、「常に自分を見つめ、自分の長所と強みを見つけましょう。人生に快楽を求め、最大限まで欲望を持ちましょう。そうすれば、それは実現します。」というもの。

こうして比べてみると、「ポジティブ・シンキング」は非常に良いもののように思えるし、実際にカルヴァン派の抑圧的思想による神経症に苦しんでいた人々には福音となったようです。

しかし、この二つの考えは正反対ではありながら、実は双子のようにそっくりでもある。常に厳しく自分の考えを抑制し、それに反する考え(カルヴァン派は「罪深い考え」、ポジティブ・シンキングは「ネガティブな考え」)を、徹底的に排除するよう求めるところと、病気や貧困などの不幸に陥った時に、それを本人のせいだと責めるところ(カルヴァン派なら「罪への罰」、ポジティブ・シンキングなら「ネガティブに考えたせいで不幸を引き寄せた」)です。

第4章 企業のためのモチベーション事業

この章はいよいよ本題、80年代以降、利益の追求だけを目的として従業員や社会に対する責任をないがしろにするようになった企業が、従業員を解雇するため、また残った従業員を文句言わず働かせるために、いかにして「ポジティブ・シンキング」産業を利用したかという話。

これを読むと、搾取企業のやり口なんて日本もアメリカもあまり変わらないんだなあ、と思いました。「努力・忠誠心」が「ポジティブ・シンキング」に変わっているだけで。

第5章 神はあなたを金持ちにしたがる

現代のプロテスタントメガチャーチが、いかに「ポジティブ・シンキング」を積極的に取り入れて信者数を増やしているかという話。「欲望を抱けば、神はそれを叶えてくれる」...すでにこれはキリスト教ではないような気がしたのですが。

マイケル・ムーアの「キャピタリズム マネーは踊る」に描かれていたことが、改めて納得のいった章でした。

第6章 ポジティブ心理学-幸せの科学

これは「ニセ科学」ではなく、ちゃんとした科学(心理学)としての「ポジティブ・シンキング」の話。

心理学者たちは、第2章や第5章に登場した人々と違って一応科学者であるから、「ポジティブ・シンキング」が人々の健康や成功に必ずプラスの影響を与えるとまでは証明されていない、ということは分かっている。それなのに、「ポジティブ心理学」の研究をプロモートするのは、それが心理学の中ではダントツに研究資金を得やすい分野であるから。うーむ、わかりやすい...

第7章 ポジティブ・シンキングは経済を破壊した

住宅バブルの時期、CEOたちに蔓延していた「ポジティブ・シンキング」が、いかにサブプライム・ローンの問題と金融危機を引き起こしたか。

私は、CEOたちは危機を予想できなかったのではなく、「自分たちは儲かると知っていたから、わかっててわざとやった」のではないかという疑いを持っていますが...でも全員が全員そうだったのではなく、一部には度を越した楽観主義で心底浮かれていた人々もいたのでしょうね。

第8章 ポジティブ・シンキングを乗り越えて

人間に必要なのは、ポジティブ・シンキングでもネガティブ・シンキングでもなく、現実をありのままに見て、できる限りの情報を集め、自分以外の人の見方も参考にして客観視する「クリティカル・シンキング(批判的思考)」であるという結論。禿同。

でも、思ったのだけど、「ポジティブ・シンキング」と違って、「クリティカル・シンキング」のコーチングやセミナーや商品で大儲けはできないだろうな。なぜなら、「クリティカル・シンキング」を教えたら、顧客はまず「このセミナー(商品)には、払ったお金だけの価値はあるのだろうか」と客観的に分析し始めるだろうから。

とにかく、アメリカに関して非常に系統だって分かりやすい知見を与えてくれる本でした。

上にリンクしたデイリーショーのインタビューの中で、ジョン・スチュワートがDevil's advoateの役回りを演じて、「でも、(がんに罹った場合などは)ポジティブ・シンキングで救われることもあるのではないですか?たとえ気休めでも、相手のためを思って『前向きにとらえろ』と言う場合は、よいのではないですか?」と聞いたら、バーバラさんは「I never think delusion is OK.(妄想がよい場合などありません。)」ときっぱり言っていたのが印象的でした。

私が「ポジティブ・シンキング」について初めて聞いたのはだいぶん前ですが、その時からずっと疑問に思ってきたのは、「『あなたは考え方がネガティブだからダメだ』というのは、それ自体とてもネガティブな考え方なのではないか?」ということです。

それに比べてバーバラさんの、現実の悪さを直視し客観的に考えることでこそ道は開ける、という考え方こそ「ポジティブ」だと思ったのです。

「われわれの目の前にある脅威は現実であって、それを打ち破るには自己陶酔から抜け出し、現実社会で行動を起こすしかない。堤防を築くこと、飢えた人に食料を与えること、治療法を見つけること、「救急法の取得者」を増やすこと。これらすべてを実現できるとは限らず、同時にとなればなおさら難しいだろう。だが、締めくくりに私自身の幸せの秘訣をいわせてもらえれば、そういうものを試みることで充実した時間が過ごせるのである。」