「ミルク」感想(その4)

これも、いいかげん書いてしまわないと。

この映画のミルクの魅力的なところは、一言でいえば、普通っぽいところでしょうか。もちろん、本当に「普通」(平凡という意味で)なわけではなくて、頭の良さや政治的カンの良さ、燃えるような信念などは、人並み外れて持っていたとは思いますけど、それがあんまり、あからさまに「切れ者」「情熱的」「カリスマ」という風には表れていない。演説は上手いし、カリスマ性もそれなりにあるけれど、どちらかというと、普通に好感の持てる人として描かれています。

それが一番よく表れているのは、プロポジション6(※)を推進するブリッグス議員との討論会のシーン。ディベートでの対決から逃げていた議員を、ミルクはマスコミと市長を味方につけ、半ば強引に公開討論会に持ち込むのですが、討論会が行われたのは「敵地」。つまり、聴衆はブリッグス議員の支持派ばかりで、ミルクが何か言うとブーイングが起こるという状態。

それでもミルクは、冷静に、論理的に、ユーモアのセンスをもって、討論を進めてゆきます。ゲイの教師に教わったら子供たちがゲイになってしまう、という議員に対して、「ホモセクシャルって、どうやって教えるんです?フランス語みたいに教えるんですか?」と笑いをとってから、「ぼくはヘテロセクシャルの両親から生まれてヘテロセクシャルの教師に教わった。ゲイは教えられてなるものじゃない」と論理で攻める。ブリッグスの味方であるアンチゲイの聴衆からは反発されても、討論の中身は報道されて全国に広がってゆくし…もしかしたら聴衆の中にも、それをきっかけに考えを変える人もいるかもしれない。なにしろ彼らのほとんどは、ゲイであることをオープンにしている人から話を聞くのも初めてでしょうから。

(その1)で、これは「政治の力、言論の力」を信じている映画だと書いたのですが、「言論」というコトバはちょっとイメージ違ったかもしれない。うまく日本語にならないのですがpublic discourse, political discourseの力というつもりでした。この討論会みたいに、今まであまり論じられなかったことをどんどん議論して、双方が意見を出して、多くの人がそれを聞いて考えて…ということ自体の力です。

一方の意見がいくら馬鹿馬鹿しく思えても、合意に達することは絶対になくても、その議論自体から世の中を変える流れが生まれてくる。その場の勝ち負けが重要なわけじゃないのです。でも、議論に勝とうとするあまり、相手の言葉を遮ったり怒鳴ったりしてばかりだと、一般人はかえってその議論から引いてしまう。だから、このシーンのミルクのように、あくまで冷静で論理的であることが重要だと思うのです。

まあ、議員の方も怒鳴ったりはせずにちゃんと議論してるんですけどね。聴衆もブーイングはしても、どこかの国会みたいに、野次で相手の発言を遮るほどレベルの低いことはさすがにしてないし。(と、つい話がそれる)

ところで最近、アメリカのアンチ・ゲイの団体が作った、口をマスクで覆った人々が出てきて「同性婚に反対する議論が封殺されようとしている…言論の自由を守りましょう」という広告が問題になったのですが…あんたたち、今そうやって堂々と同性婚に反対してるじゃん。どこが封殺されてるの?「議論に負けること」と「言論の抑圧」をいっしょにしてない?と、突っ込みたくなってしまったのですが。

また話がそれましたが、ミルクの魅力、政治家としての力がどのへんにあったのか、それがこの討論会のシーンによく表れているという話でした。とにかく、他のシーンでもそうですけど、ユーモアのセンスがあるんですよね。いわゆるself-deprecating humor(自虐的ユーモア)というやつ。このへん、ユダヤ系の血なんでしょうか。(こういうことを言うと「またあんたは…」と言われそうですが…)

さて、この映画の中で、ミルクが「プライバシーは敵だ」と言うシーンがあります。みんな、プライバシーがどうのと言ってないでカムアウトすべきだ、人の考えを変えさせるには、まずぼくらが誰なのか知ってもらうことだ、と。

カムアウトと言っても、特に当時は、大変なことだったと思います。昔のイギリスみたいに逮捕されることはなくても、なんだかんだで職を失う可能性は高かったわけだし、田舎で商売をやっている人なら客が来なくなることもありうるし。でも、根本的に、ミルクの言っていることは正しかったのだと思います。

というのは…最近思ったのですけど、保守的な人っていうのは、論理より自分自身の経験からものを判断する人が多い気がするのです。それが良いか悪いかは別にして。(もちろんこれは右翼のデマゴーグとかじゃなく、普通の善良で保守的な人々のことを言っているのですけど。)

前に書いた「ラースと、その彼女」という映画で、田舎のおばさんが主人公に「もしかしてゲイなの?私は偏見はないわよ、孫のひとりがゲイだから」と言う台詞があるのですが…たまたま「孫がゲイだった」という経験がなければ、どうだったのかなあ、とちょっと考えていたのです。だから、とにかくどんどんカムアウトして、知り合いの中にゲイがいるって知ってもらうことが重要だ、というミルクの主張はよくわかるのです。

「もし一発の銃弾が私の脳に達するようなことがあれば(私が暗殺されたら)、その銃弾はすべてのクローゼットの扉を破壊するだろう」というミルクの遺言は、あまりに悲しいですけどね。

あー、また長くなってしまった。いままで真面目な話を書いてきて、最後に台無しにしそうですが…あとひとつだけ言いたいのは、ガス・バン・サント監督ったら、なんて男の趣味が良いの!ということです(笑)。

とにかく、ミルクのパートナー役のジェームズ・フランコをはじめとして、ぞろぞろ出てくる若い俳優たち(もちろん全員ゲイの役)が、みんなカワイイし演技もうまい。特に私の目を引いたのは、写真家の青年ダニー役のルーカス・グラビール君です。「ハイスクール・ミュージカル」でも彼が一番可愛いと思っていたのですが(No disrespect to Zack fans...)、いい感じに成長してますねー。先が楽しみです。

記録的に長い映画感想になってしまいましたが…このへんで。

カリフォルニア州住民投票にかけれれた、公立学校からゲイの教師を解雇するという法案。ミルクはこの法案の廃案に尽力した。