【映画感想】ミルク ☆☆☆☆☆

私、アカデミー賞とはわりと「映画の趣味が合う」と自覚しています。(逆にまるで趣味が合わないのは、カンヌ映画祭!)なので、作品賞候補と主要賞受賞作品は、なるべく観るようにしてます。でも、やっぱり中にはちらほら、好みに合わないものもあります。

その中で私的に最も「ハズレ」が少ないのは、「オリジナル脚本賞」受賞作品なんです。つまり、私はハリウッドの脚本家さんたちと特に趣味が合うってことですね(笑)。みなさん、脚本賞を獲った作品は狙い目ですよ。まあ、私が映画を「脚本で見る」タイプだからということもあるでしょうけど。

今年の脚本賞はこれ。やっぱり、すごくいいです。ハーヴェイ・ミルクの生涯についてはドキュメンタリー映画もあるんですが(私は見ていない…けど見るつもり)、これは脚本化された映画ならではの良さがあふれています。

私は以前、「アメリカ映画の普遍的三大テーマ」を勝手に決めてしまったことがあるのですが、それは以下のようなものでした。

1.真実は知らされなければならない。
2.自分の人生は自分で決めなければならない。
3.自分が自分であることを恥じてはならない。

…なんと大雑把な(笑)。

「ミルク」はこの全部の、ど真ん中をついている映画です。そういう意味で、まさに伝統の、最上のアメリカ映画です。

とっても普遍的な、人間の生き方そのものへの示唆に富んだ映画ですが、そこまでゆくと話を広げすぎな気も。なのでここは、これが「政治のあるべき姿について考えさせられる、希望を与える映画」だということについて書きたいと思います。

ここで唐突に、他の映画の話をしますが…

私の大好きな映画に「デーヴ」というコメディがあります。その映画では、大統領が脳梗塞か何かで倒れて、大統領のそっくりさんだった主人公が側近たちの陰謀で「替え玉」にならされるのですが…彼はそのチャンスを利用し、自分ならではのやり方で努力して、政治のおかしいところ、間違っていると思ったところをどんどん変えてゆきます。

もちろんこれは、現実には到底あり得ない、コメディ映画ならではのシナリオです。でも、「大統領」として大きな権力をふるったり、政治の汚い裏側もさんざん見た後、「替え玉」任務が終わって普通の人に戻った主人公が何をすると思います?地元の市会議員に立候補するんです。

このラストシーンには、アメリカの民主主義に対する基本的な信頼と楽観性が表れているような気がします。全体としてとても好きな映画ですが、このラストは特に大好きなんです。

さて、「ミルク」の前半、サンフランシスコの市政委員に立候補したハーヴェイ・ミルクが、後に彼の選挙スタッフになる青年に、街で初めて声をかけるシーンがあります。青年は「政治なんて、ぜ〜んぜん興味ないよ。これから彼氏とスペインに行くんだもん」とかなんとか言って、歩み去りかけるのですが…

青年の出身地を訊ね、アリゾナ州フェニックスだと聞くと、ミルクは言います。「学校の体育の時間に殴られなかった?ぼくはフェニックスを変えたい。それにはここ(サンフランシスコ)から始めるんだ。

私がこの映画に、完全に心を奪われたのは、この台詞でした。

デーヴもミルクも市会議員(サンフランシスコの「市政委員」は市会議員のようなもの)になるわけですが、それはその地域「を」変えるだけじゃなくて、その地域「から」世の中を変えてゆくということなんですね。それは必ずしも、市会議員でスタートしてもいずれは国政に進出する、という意味じゃなくて…実際、ハーヴェイ・ミルクはその早すぎる死までに市政委員にしかならなかったけど、それでも世界を変えたわけだし。

突拍子もないファンタジーだった「デーヴ」と、実話に基づいた「ミルク」ですが、根っ子にある精神では共通していると思うのです。それは、何だかんだ言っても、身近なところから世界を変えられる政治の力、言論の力を心から信じているということだと思います。

ミルクが殺されてしまうことは最初から分かっているので、この話はどうしても悲劇にしからならいと思っていたのですが…驚いたことに、この映画は「ハッピーエンド」なんですよ。私はハッピーエンドだと思う。それは、ミルクが死んでから30年間、彼の意志を継いだ人々がたいへんな努力をして作ってきた(これからも作り続ける)ハッピーエンドなんです。

あと三つぐらい書きたいことがあるんですが…今日は時間がないので、また後日。

書きたいことの自分メモ
・「ゲイ・アジェンダ」のこと
・「キャラクター」としてのミルク
・役者語り