【読書感想】テヘランでロリータを読む(その1)

読み終わりました、一週間前に。感想は、うだうだ考えていてもちっともまとまりそうもないので、まとまらないまま、思いつくまま書いちゃいますね。感想というより、関連雑感という感じですが。

えと、最初に...私はこの本のことは前から知ってはいて、なんとなく読みたいと思ってはいたのですが...読んだ直接のきっかけは、ジョン・スチュワートなのでした。

著者のアーザール・ナフィーシーが最近「Things I've Been Silent About(私が黙っていたこと)」という新刊を出して、NYでサイン会をやったそうなのです。アメリカのサイン会というのはただ読者が並んでサインもらうだけじゃなくて、著者の朗読とスピーチと質疑応答がついているのですが、そこでナフィーシーさんはスピーチの中で、ジョン・スチュワートのことを「私のグル(導師)」だと言って、先日の「ギトモ」のセグメント(1月25日のエントリー参照)を引用して、「他人が自分をDefineする(定義する、あり方を決める)ことを許さない」ということについて語ったそうです。ちゃんとギトモたんの声もモノマネしたとか(笑)。これは、そのサイン会に行った人が「The Daily Show」のフォーラムに投稿していたのを読んだのですが。

「またそれかい」と呆れられそうですが、告白でした(笑)。

これは別のサイン会(講演会?)でスピーチしているナフィーシーさん。

http://fora.tv/2009/01/12/Azar_Nafisi_Things_Ive_Been_Silent_About#Azar_Nafisi_Denounces_the_Term_Muslim_World

<抄訳>
イスラーム世界(Muslim World)」と十把一絡げに語ることは、それぞれの国や個人の多様性を無視しているということ、アメリカやヨーロッパの友人の中にはイラン・イスラーム共和国の現状を話しても、「それが彼らの文化なんでしょ?」という人がいる、女性の結婚可能年齢を18歳から9歳に下げたり、不倫や売春を疑われた人が石打ちの刑になることがイランの文化なら、ヨーロッパの文化は宗教裁判やファシズムスターリン主義で、トーマス・アキナスやダンテやフロベールジェーン・オースティンではないということになってしまう。アメリカの文化は奴隷制や人種差別ということになる。「それがアメリカの文化」などと言っていたら、アメリカの女性が参政権を得ることはなかっただろう。アメリカの文化はマーク・トウェインであり、エミリー・ディキンソンやソール・ベローやトニー・モリソンだ。ナボコフの言ったように、政府は現れ消える、天才の遺産だけが残る。「テヘランでロリータを読む」で言いたかったのはそういうことだ。イラン・イスラーム共和国を一度も出たことのない少女が「ロリータ」を読んで、アメリカの最も優秀な学生に優るとも劣らない議論ができる、それこそが真の平等だ。

あー、なんか著者本人が一番よくまとめてくれて、付け加えることはないような気もしますが...私自身の感想、というか雑感・連想もいろいろありますんで、それはまた次回に。