Is Jon Stewart the most trusted man in America?

昨日のニューヨークタイムズの記事の話の続き。

恥ずかしながら、私はミチコ・カクタニ氏の批評って読んだことがないんですが、辛辣な批評で有名な人らしいですね。でも、この記事は手放しの絶賛に近い。誉める時は徹底的に誉める人なんでしょう。

"Is Jon Stewart the most trusted man in America?"(ジョン・スチュワートはアメリカで最も信頼されている男か?)というのは、かなり目を引く題名ですが…私はこれ、"The most trusted name in fake news"(偽ニュースの信頼のブランド)というThe Daily Showのコピーにちなんだものかと思ってました。

でも、どうやらそうじゃなくて、ウォルター・クロンカイト(一世代前のナンバーワン・ニュースキャスター)が当時「アメリカで最も信頼されている男」と呼ばれていたので、そっちからきているらしいです。

この記事を読んで、一番感じたことは…ジョンって、才能があるとかいう以前に(もちろんあるんですが)、とにかく真面目で勤勉な人だなあ、ということです。

ジョンは大学生の時から「ニュースジャンキー」だった、と別のインタビューで語っていたことがあります。また別のインタビューでは、普段から毎日、一日中CNNをつけっぱなしにしている、と言っていた。(「あまり人には勧めない」とも言っていました。)

もしかして、こういう仕事をしていなければ、腹の立つニュースを見てはテレビに向って怒鳴っているオジサンになったのかな、とも思います(笑)。

かなり長い記事なんですが、一部だけ訳しました。

The New York Times 2008/8/17 "Is Jon Stewart the most trusted man in America?"

【前略】

スチュワート氏は自分の仕事を「後の席から紙つぶてを投げること」と表現している。「The Daily Show」の目的は娯楽で、情報を与えることではないと語る。それでも、彼と彼の脚本家たちは、現代の大きな社会問題にエネルギッシュに取り組んでいる。それが「一番面白いネタだと思うから」と、彼はマンハッタン・ミッドタウンの番組のオフィスで行われたインタビューで語った。一番「胸焼け」がするネタ、時には、彼が「朝のカップ一杯の悲しさ」と表現する深刻なニュース。そしてそれは、普通のニュース番組には真似のできないやりかたで扱われる。権力に対して真実を、率直な、時には下品な言葉でぶつけること。そして同時に、政治分析に風刺と下らない冗談をとりまぜ、重苦しい気取った感じにならないようにすること。

【中略】

スチュワート氏は、ブッシュ政権の終焉を「コメディアンとしても、ひとりの人間としても、一市民としても、一哺乳類としても」待ち焦がれている、と語る。

【中略】

The Daily Show」は脚本・調査・製作において層の厚いスタッフを誇り、才能あるコメディアンの登竜門となっている。特筆すべき卒業生には、「The Colbert Report」のスティーブン・コルベア、スティーブ・カレル、ロブ・コードリー、エド・ヘルムズなどがいる。この番組は共同作業で作られるが、プロデューサーのひとりの言葉によれば「これは究極的にはジョンのビジョンであり、彼の声」だということだ。

スチュワート氏は彼の「アンカーマン」のキャラクターを、自分自身の「ある意味、実際より子供っぽいバージョン」と呼んでいる。コーン氏(プロデューサー)は、「番組では、少し誇張されているかもしれませんが、ジョンが本当に感じていることを元にしています」と語る。

「彼は本当に真剣に考えているのです。彼は本音で語る人です。」彼女は言う。

現代のコメディアンには珍しく、スチュワートは流行を追い求めたり、ナルシシズムに陥ったりすることはない。彼はジョニー・カーソンのように聞き上手で、ジョージ・カーリンのように観察力が鋭い。

【中略】

「情報を取り入れて消化するジョンの能力は貴重なものです。」コルベア氏は語る。彼によれば、スチュワート氏は「とても明晰な思考をする人」で、彼は「政治論議という体裁で吐き出される、歪められた情報や見え透いた偽りを全部」受け止めて、「そこから本当に意味のあることと、ごまかしやミスリードとをより分けることができ」、しかも同時に「そこからジョークを生み出す」という器用な離れ業を演じることさえできる。

「ぼくらは、風刺についてよく話し合います。彼がやっている、ぼくもある程度やっているような風刺は、蒸留工程のようなものだと。ものすごく大量の材料があって、それを一日の終わりまでに、数滴のシロップにまで蒸留しなければならない。ニュースの本質や意図に関係のない部分をそぎ落としてゆくのです。肝心なのは、最後に残ったほんの数滴なのです。何トンものトウモロコシを、数ガロンの酸っぱい汁にすることは難しくない。しかし、数ガロンの酸っぱい汁を、一杯の純粋なウィスキーにするには、忍耐と努力と集中力が必要です。」

政治家のごまかしを暴く時となると、スチュワート氏は容赦なくなる。イラク戦争を正当化する元国防次官ダグラス・ファイスの言い分を、彼は論理と怒りで粉砕したが、インタビューの間にことさら騒ぎ立てたり、悪意のある言葉遣いをすることはなかった。また彼は、心からの悲しみや苦痛を表明することも厭わない。2007年のバージニア工科大学乱射事件の翌日、彼はゲストの元イラク国防長官アリ・アラウィと、その悲劇について真面目に語り、彼の国で「このような悲劇が毎日のように起こっていること」に対して「ちゃんと嘆く方法はあるのか」と訊ねた。

最も記憶に残る出来事は、2001年9月20日、9/11のテロ攻撃の後に番組が再開した初日のことである。スチュワート氏は番組を、生々しい感情のこもったスピーチで始めた。声をつまらせながら、彼は視聴者に「動揺したホストの感情過多のスピーチ」を押しつけることを詫びつつ、これは番組のスタッフにとって「自分たちのために、心にある膿を出して、人を笑わせる仕事に戻れるように」必要なことだと語った。

彼は、5歳のとき、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺されたことを聞いたことを語った。彼は「一歩引いたところで皮肉なジョークを言える」国に住んでいることを特権と感じていると語った。彼は「ぼくがなぜ嘆いているか、でもなぜ絶望していないか」語った。

今、スチュワート氏は「あの時の番組は二度と見たくない」と語っている。「この番組を作る事は、ああいう感情を言外に隠すことです。あの時は、それを表に出していた。あのような事柄は、番組を作る基となる情報にはなるべきだけど、普段はあれを隠すことが番組作りなのです。」

実際、スチュワート氏は、コメディは一種のカタルシス装置だと考えている。怒りや嘆きを覚えるような問題に対処できるようにするための心理療法のようなものだ。「この番組がしつこくて容赦ないことの効用は、何があろうとも、月曜から木曜までは毎日、はけ口があると分かっているということです。ピザみたいなもんです。今までに食べた中で最高のピザじゃないかもしれないけど、ピザはピザだし、とにかく毎晩食べられる。朝には身体の中に毒があって、毎朝カップ一杯悲しみを飲んだとしても、夜の7時か7時半にはそれを一日の労働として片づけてしまって、次の日に進んでゆけるということです。」