マロー、クロンカイト、スチュワート(9-11救援者支援法、その後)

今年も押しつまりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、私は何度も告白している通り、1日最低一度は「Jon Stewart」「The Daily Show」でニュース検索している、ストーカーのようなジョン・スチュワート・ファンであるわけですが...

ジョンはエゴサーチとかしなさそうだからな。ワタクシが代わりに...(笑)

ジョンはニュースに取り上げられることが多いとは言え(ジョンが大好きなリベラル・メディアも、目の敵にしている保守メディアもありますから)、さすがに番組が長期休みに入っている時は、ほぼニュースがなくなるのが通例なのですが...今年の年末休みは、いろいろとカビスマシイようです。

というのは、12月22日のエントリーで書いた通り、「ザドローガ法」(9-11の初期救援者医療補助法)のぎりぎりでの可決成立に、ジョンの力が大きく関わっていたからなのですが。

法案成立後、First Responder自身がジョンに感謝の意を示し、

http://abcnews.go.com/Politics/video/911-responders-jon-stewart-12462709

この法案を応援していたブルームバークNY市長がツイッターで名前を挙げて功績をたたえ、ホワイトハウス広報官のギブス氏も言及し...

しかし、決定打になったのは、ニューヨークタイムズのこの記事であります。

「9/11法に関してのThe Daily Showの役割は、(エドワード・R)マローを彷彿とさせる」

http://www.nytimes.com/2010/12/27/business/media/27stewart.html?_r=1&scp=2&sq=jon%20stewart&st=cse

この記事では、ザドローガ法の可決にジョン・スチュワートが果たした役割を、エドワード・R・マロー(映画「グッドナイト&グッドラック」でおなじみの)が赤狩りマッカーシー議員の非米活動調査委)批判で、またウォルター・クロンカイトがベトナム戦争批判で果たした役割と比較しています。

3年間ジョン・スチュワートに関するニュースを漁ってきて、実はジョンがエドワード・R・マローと比較されるのも、ウォルター・クロンカイトと比較されるのも、結構飽きるほど何度も聞いているのですが、なんか今回はニューヨーク・タイムズが見出しにもろに出しちゃったせいか、それとも9−11法の成立という現実の裏付けがあるせいか、「うむ、一理あるかも」から「とんでもねえ!ニューヨークタイムズはアホか!」まで、さまざまな反応が飛び交っているわけです。

http://news.google.co.jp/news/story?region=jp&pz=1&cf=all&ned=us&hl=en&ncl=dO77jp9f3dIx74Mf8m7iht6mTdGjM

NYT記事の反応の中で、私が良記事だと思ったのは下のリンクです。

http://crosscut.com/blog/crosscut/20010/Jon-Stewart-has-an-edge-over-Murrow-and-Cronkite/

この記事がすっきり納得できるのは、マローとクロンカイトの時代のメディアと、現代のメディアの違いに焦点を当てているからです。

マローとクロンカイトはニュースキャスター、テレビを舞台にするジャーナリストであったわけですが、彼らの時代にはジャーナリストには「不偏不党」という大原則があった。FOXニュースが謳う白々しい「Fair and Balanced」などではなく、彼らは本当に中立であろうと努力していた。

マローがマッカーシーの非米調査委を批判した時、クロンカイトがベトナム戦争を批判した時、彼らはむしろ、「中立の立場で事実だけを伝える」という本来の自分たちの原則から外れた報道をしたわけです。赤狩りベトナム戦争には、あえてそうする必要があると思ったからでしょう。彼らの番組を見ていた大衆は、マローやクロンカイトが中立で偏りのない事実を伝えていると信頼していたから、彼らの「あえて原則を踏み外した」主張に影響された。

一方、今のメディアでは、何についてもパンディット(テレビの政治・社会評論家・コメンテーター)の「意見」が山ほどくっついてきて、「事実だけの報道」はむしろ少数派になっているし、どの局のどの番組も、本当に「中立」だと思っている視聴者などいないでしょう。

それと、マローとマッカーシーの時代は、ニュース専門局はなく、ネットワークTV局は3つしかなかった。そしてみんな、今よりテレビを見ていた。そのうちの1局の、ゴールデンタイムのニュース番組のキャスターというのは、今では考えられないぐらいの影響力があった。

現代のように細分化された、TVでもネットでも何百人ものパンディットがそれぞれ意見を叫びまくっている状態で、ケーブルテレビで30分の番組を持っているだけのジョンがこれほどの影響力を持っているのは、もしかしたらもっとすごいことなのかも...

まあ、とにかく、メディアの状況が違いすぎて、「現代の」マロー、とか言うのはあんまり意味がないってことでしょう。

考えてみれば、ジョンがマローと比較されることよりもむしろ、現代のニュースキャスター・テレビジャーナリストが誰もマローと「比較されない」ってことに問題があるのでは...

最後に、私の役に立たない意見を言えば...ジョンが「ジャーナリストか、ただのコメディアンか?」とか言うのは意味がないし、マローやクロンカイトと比べるのも意味がないと思う。

この手の議論が出ると、いつも思い出すのが、以前に訳したビル・モイヤーズのインタビュー。

http://navy.ap.teacup.com/kumiko-meru/639.html

「ぼくは、自分に才能があると思える方法でしか反撃できない。自分ができるのはこれだけだと感じていて…ぼくはいろんな仕事をクビになりましたから、これは自信を持って言えますが、ぼくが他の人よりちょっとでも上手くできるのは、ユーモアによってその脈絡を創ることです。それが、絶望感や無力感を感じないでいるための、ぼくなりの方法なのです。」

「自分に才能があると思える方法でしか反撃できない。」ジョンがやっているのは、世の中がこうであったらいいと思う方向に進ませるために、自分が才能があると思える方法で貢献しようとすること。それはずっと前から一貫してそうであって、それを「ただのコメディアン」と呼ぼうが「ジャーナリスト」と呼ぼうが「アドボケート(唱導者)」と呼ぼうが「デマゴーグ」と呼ぼうが、まああんまり関係ないわけです。

「自分に才能があると思える方法で」...私も、常々こうありたいと思っているのですがね。まあ私に「才能」と言えるほどのものはないけど。せいぜい「適性」とか「スキル」とか...それでもいいよね。