Wicked 〜Defying Gravity深読み(その2)

16日のつづきです。

Elphaba:
Something has changed within me
Something is not the same
I'm through with playing by the rules
Of someone else's game
Too late for second-guessing
Too late to go back to sleep
It's time to trust my instincts
Close my eyes and leap

エルファバ:
私の中で何かが変わった
以前とは何かが違うのよ
自分のものじゃないゲームで、他人の決めたルールに従うのはもうたくさん
迷っている暇はない
目覚める前には戻れない
今こそ自分の本能を信じて、
目をつぶって跳んでみる時!

It's time to try
Defying gravity
I think I'll try
Defying gravity
And you can't pull me down...

今こそ、重力に逆らってみる時
私、これから重力に逆らってみる
私を引きずり降ろすことはできない

Glinda:
Can't I make you understand, you're having delusions of grandeur...?

グリンダ:
どうしてわかってくれないの。誇大妄想なんじゃない?

Elphaba:
I'm through accepting limits
'Cuz someone says they're so
Some things I cannot change
But 'till I try, I'll never know
Too long I've been afraid of
Losing love - I guess I have lost
Well, if that's love
It comes at much too high a cost

エルファバ:
誰かにそう言われたからといって
自分の限界を受け入れるのはもうたくさんよ
世の中には変えられないこともあるって?
でも、やってみないとわからないじゃない!
ずっと私は愛を失うことを怖れてきた
でも、とうに失っていたのね。
もしあれが愛だというなら
引き換えに失うものが多すぎるわ!

I'd sooner buy
Defying gravity
Kiss me goodbye
I'm defying gravity
And you can't pull me down...

それより私は、重力に逆らう方を信じるわ
永遠のお別れね、私は重力に逆らうのよ!
引きずり降ろそうったってムダよ!

CDを買ってこの歌を聴いていて、最初に感じたことは、これは非常に力強いフェミニズムの歌だということでした。その後、また何度も繰り返し聴いているうちに、フェミニズムだけにとどまらない、もっと広い意味の、すべての世の中を変えたい人の歌にも感じられてきたのですが...

それでもこれは、第一に「圧力に挑戦する女性」をメインテーマにした歌だということは間違いないと思います。

「他人のゲームのルールでプレイするのはもうたくさん(I'm through with playing by the rules of someone else's game)」

いや、もう、気持ちわかるなあ(笑)。とにかく世の中というのは、基本的にその社会の先住者(つまり男)が決めた彼らに有利なルールで動いているわけで、そのルールで勝てないことに文句を言えば「甘えている」となるわけで...それでも、現実にはゲームそのものを投げ出すわけにもいかないし、全部の不公平にいちいち文句言うのも面倒になってくるし、まあ適当に目をつぶりつつ、妥協しながらやってるわけですが。

「長い間、私は愛を失うことを恐れてきたけど、もう失っていたのね(Too long I've been afraid of losing love - I guess I have lost)」

こういう文脈なので、「愛を失う」とは恋愛・結婚対象としての男の愛...つまり、フィエロ(エルファバとグリンダがともに恋した青年)のことを言っているように思えますが...実はそうじゃないと思う。エルファバがフィエロに恋してからは「too long」というほど長くは経っていないし、そもそも考えてみれば、エルファバはフィエロへの愛のために自分を抑えたりは全然していないですよね。最初から彼はグリンダが好きだと思い込んで、「彼女はあんなにキレイだし、私なんかより彼にふさわしい...」とかなんとか、少女マンガなことを歌っていただけで。

エルファバが「その愛を失うことを恐れて、ずっと自分の本質を押さえつけていた」相手とは...ずばり、父親なのです。だから、「もう失っていた」というのは正しいので...エルファバの父親は、最初から自分の子ではない彼女を愛してはいないのですから。

「あれが愛だというのなら、引き換えに失うものが大きすぎる(Well, if that's love, it comes at much too high a cost)」

女性にとって、「重力」を象徴するのは父親...まあ、個人的には自分の父親でない場合もあるでしょうけど、とにかく父親の世代の男の価値観なのです。それに逆らうこと、それを変えようとすることがイコール「愛を失う」ことだというのは、エルファバのとこみたいな厳格な家庭でなくても、女の子ならある程度刷り込まれていることなんじゃないでしょうか。でも、ずっとそれに従って生きているのは、「引き換えに失うものが大きすぎる」のかもしれない。

これは女の子に限らないけど、誰でも人生のうちでいつか、「重力に逆らってみる時」が来る。その時、「自分の本能を信じて、目をつぶって跳んでみる」ことができるか...

このミュージカルはアメリカの10〜12歳ぐらいの「トゥイーンTween」と呼ばれる女の子たちに人気があるそうですが...12歳や13歳でこのミュージカルに出会う女の子たちは、ラッキーだよなあ。でも、できればアメリカの女の子だけじゃなくて、もっと「重力」が強い社会の女の子たちにこそ聞いてほしいですけどね。

つづきます。