「ミルク」感想(その3)

当初は2回で終わらそうと思ったのに、まだ書き終わらないよ〜。とりあえず途中まで。

「ミルク」はアカデミー賞では脚本賞だけじゃなくて主演男優賞(ショーン・ペン)も獲得しています。

昔から、「有名な実在の人物の役」と「分かりやすい意味で役者本人と違う役」(老け役、太ったり痩せたり、美人女優が醜い役、などなど)はアカデミー賞を獲りやすいと言われていて、まあ、実際その通りです。どこかに極端なところを持った役の方が賞を獲りやすい。

ま、しょうがないと言えばしょうがないのですが、実は私、ちょっとそれには不満を持っていまして。実在の人物や、極端に個性的な人物に「なりきる」という演技だけじゃなくて、みんなに長く愛されるような「魅力的なキャラクターを創り上げる」というタイプの演技も、もっと評価されていいんじゃないかと。

そういう意味で、ラッセル・クロウが「グラディエーター」のマキシマス役でアカデミー賞を獲ったのは、実は画期的なことなのです。…でもまあそれも、その前年にもっと分かりやすく「演技派」な役(「インサイダー」のワイガンド博士)でノミネートされていたという実績あってこそなんですけどね。話がそれました。


この映画も、ハーヴェイ・ミルクは有名な実在の人物だし、ストレートのショーン・ペンがゲイのミルクを演じているということで、前述の「獲りやすい役」の定義あてはまるよう気もします。でも映画を観て、これはちょっと違う、と思いました。むしろこれは、「魅力的なキャラクターを創り上げる」タイプの演技なんじゃないかと。

私は基本的に、「実在の人物だろうと歴史上の偉人だろうと釈迦だろうとキリストだろうと、脚本に書かれて役者が演じた時点でそれは『キャラ』」だと思っています。ハーヴェイ・ミルクもこの「ミルク」という映画の中では「キャラクター」です。もちろん、本人の映像は参考にはしているとは思いますが、「実在のミルクにいかに似ているか」ということでで演技の価値が決まるわけじゃないということです。

ハーヴェイ・ミルクのドキュメンタリーをまだ見ていないので、このへん想像で書いているのですが、ガス・バン・サント監督もショーン・ペンも、主人公を実在のミルクに「似せよう」というところには力を注いでいない気がするのです。むしろ、一都市の市政委員をほんの短い期間やっただけのミルクが、どうしてこれほど多くの人の心を動かすことができたのか、そこのところから「逆算」してミルクのキャラクターを作りこんでいったような気がします。

つまり早い話が、この映画のミルクは魅力的だってことなんですけどね。

つづきます。