クリスマス戦争(その4)

昨日の続き。

そもそも、「The Daily Show」のはじめのセグメントだって、別にクリスマスを連邦休日にすることに反対してるってわけじゃないのです。(アメリカの連邦休日っていえば、マーティン・ルーサー・キングの誕生日とかコロンブス・デーの方がモメてるみたいだし、政教分離がもっと浸透しているヨーロッパ各国だって、クリスマスはさすがにたいがい法定休日だし。)ただ、クリスマスが祝日だという、普段当たり前だと思っているであろうことをちょっとだけ見直して、「ま、そういえばそうだよね。」と考えてみる…というだけの意味のジョークだと思います。(思えばこの、「気がつかなかったけど、そういやそうだなぁ」というのは、いろんなジョークの可笑しさのキモになっているのかもしれない。)

それを、わざわざ1年前のビデオを引っ張り出してまで、「公の場でクリスマスを祝えなくなる」とか、「攻撃されている」「クリスマスに対する戦争」とか…

こういうアホらしい過剰反応をするのはアメリカのウルトラ保守派だけだ、と言ってしまうのは簡単ですが、でも、こういうのって、形を変えればどこにでもあることなのかもしれない、と私は思うのです。例えば、ストレートとゲイとか、日本における日本人とそれ以外とか、伝統的に男性が多い職業(つまりほとんど全部の職業)における男と女とか…圧倒的多数を誇り、その優位は百年は揺るぎそうもない人々の側に限って、毛色の変わった人が片隅にちょろっと出てきただけで飛び上がって、「伝統が攻撃されている!このままでは我々は滅びる!」とか、叫ぶ人がいるのですよね。

ナンギなことですが…ただこの場合それが、よりによってクリスマスのことだっていうのが、なんとも相応しくない、残念なことだと感じるのです。

ビル・オライリーへの「プレゼント」として、堂々「反クリスマス宣言」をするジョンの方に…皮肉なことだし、多分適切な表現でもないけど…よっぽど「クリスマス精神」を感じるのですけどね、私としては。

ところで私は(ここからちょっと、話がそれてゆきますが)…

日本で(クリスチャンでない人々が)クリスマスのお祝いをするというのは、別にヘンじゃないし、まったく何の問題もないと思っています。もともとクリスマスってのは、復活祭と違って、日付には特に根拠ないんだし。キリスト教が広がる間に、ヨーロッパのいろんな地方の習慣と混ざってできたってところも多いし。ツリー飾ったりケーキ食べたりプレゼント交換したりすることには、はっきり言って、楽しいだけであんまり宗教的意味はないし。(だからこそ、アメリカを建国したガチガチの清教徒たちは禁止してたんでしょうね。)

そりゃもちろん、お祝いするからには、そのお祭りの由来とか精神とか知っていた方がより望ましいとは思うけど、まあそれはオプションというか、上級編ですね。そもそも、クリスチャンだってみんながみんな、クリスマスの意義なんていちいち深く考えてないと思うし。(それより、今年はプレゼントどうしよう!どうやって安くすませよう!とかで頭が一杯の人の方が多いと思う。)

宗教には思想的側面と、共同体としての側面と、文化的側面があって、思想的側面を突き詰めすぎると原理主義になり、共同体的側面が行き過ぎるとカルトになるわけですが…クリスマスのお祝いみたいな文化的側面は、別に共同体の一員(信者)じゃなくても、思想的側面をほとんど知らなくても、気軽に楽しめばいいんじゃないかと思います。観光でお寺見たり、大聖堂見たりする時みたいに。むしろ、そういう風に違う国の文化を深く考えずに取り入れられる柔軟性が、日本文化の大いなる美点だと私は思っているのですが。

まあ、キリスト教式で結婚式挙げちゃうっていうのは、さすがにやりすぎだと思いますが(笑)…クリスマスのお祝いぐらいは、いいんじゃないでしょうか。

クリスマスばかり祝うのがおかしいというのなら、クワンザでもハヌカでもラマダンでも、順番にやってみたら…とも思ったりしますが。(いや、断食は難しいかな…断食明けの宴だけ、ってわけには…いかないんでしょうかね、やっぱり。)

たとえば、アメリカの聖パトリック・デーで、アイルランド系じゃない人も1日偽アイルランド人になって、緑の服を着てギネス飲んで酔っ払うように…深く考えずに気軽に異文化に親しむというのは、実に愛すべき習慣だと思うのです。

それは、その文化や宗教や民族に対して、少なくとも悪意は抱いていないという表明だと思うし。それが、ホリデー・スピリットってやつなんじゃないかと。

むしろ、私としては、「日本人なのにクリスマスを祝うのはおかしい」と言われると、いつもちょっとひっかかるのです。日本にキリスト教徒は1%しかいないそうだけど、1%だからといって「いない」という前提で語られるというのは、やはりあまり気持ちの良いものではない。

これを裏返すと、「メリー・クリスマスをハッピー・ホリデイズと言い換えるのはアメリカの伝統に反する」というような(誤った)概念になるんじゃないかと。

なんか、デイリーショーにかこつけて前々から考えていたことを一気に出したら、えらく長くて構えた文章になってしまったかも。まあ、要するにまとめると、

(1) 何人(なにじん)だからとか何教徒だからとか、あるいはそうじゃないからとか、こだわらずに好きに楽しめばよろしい。

(2) でも、何につけても、相手が自分と同じだとか、その国や民族の多数派に含まれる人だとか、決めつけるのはやめようね。

…ってことなのでした。

長々とおつきあいいただき、ありがとうございました。

それではみなさま…今年はちょっと早いけど、Merry Christmas or Happy Holidays!