少子化対策

珍しく社会ネタで。

少子化対策」という言葉を聞くたびに、いつも違和感を覚えてしまうのは私だけだろうか。

少子化対策っていうからには、「子供の数が少なくなったから困っていること」に対策を取るっていう意味でしょ?

でも、今言われている保育園の待機児童の問題とか、小児科医不足とか産科医不足とか全部、今現在いる(産まれる)子供の数に対してさえ、全然足りてないってことじゃないですか。それで、子供の数を増やしたいと思っている?本当に?

だいたい、子供を持つ年齢というのはある程度限られているわけで、そもそもその年齢にさしかかる人の数が減れば、一人当たりの数が多少増えたって、子供の数は減る一方なわけじゃないですか。

だから、本当に自然増で子供の数を増やしたいと思っているのなら、人口が多い年齢層(つまり団塊ジュニア世代)が出産年齢にさしかかる時期に効果が出るように対策をとらなければならなかったはずですよね。

団塊ジュニア世代というのは1970〜1974年に生まれた世代だって。一番若い74年生まれの人は、来年35歳になるんです。つまり、ほんとうに自然増だけに頼るつもりなら、もうすでに手遅れなんです。

それも、頑張ったけどダメだった、というのではなくて…そもそも本気で取り組んだことなんかないんじゃないかな、と私はずっと思っていました。

ちょっと前までは、少子化の話っていうと、「女性が」子供を産まなくなったとか、「女性」が安心して子育てできる社会をとか…あるいはもっとヒドい方では「産む機械」とか、「子供も産まなかった女性の老後の面倒を国が見ないといけないのか」とか…

私はずっと前から、政治家の言い草を聞いていると、どうも日本の女性というのは単性生殖ができるらしい、そうならいっぺんやってみようか、とか考えていたんですけどね(笑)。残念ながらやっぱりムリみたいでした。

最近ようやく、「子供を作って育てるのには、どうやら男も必要らしい」ということに気づいたみたいですけどね。時すでに遅し。

それでもやっぱり、「少子化対策担当大臣」とやらには、やっぱり女性をつけてるし。どんな政治の分野にも男女両方の視点が必要だけど、唯一むしろ男性の視点が必要なのは、子育て支援の分野だと思うのですが。

少子化対策」って言葉を聞くと、ちょっと前よく言われていた「農家の嫁不足」という言葉を思い出すんです。「嫁不足」…嫁さんは物資か!って感じで。そういう表現をすること自体、要は労働力としてみているということがバレバレで、「無料の労働力として期待しています!」と言われて結婚したいと思う人がいるんだろうか、こういう言い方をするから余計に結婚難になるんだということに何で気づかないんだろう、といつも不思議に思っていたのですが…

少子化対策」も似たようなもので…「日本の労働人口の割合が少なくなるから」子供を増やさないといけない、と言われて、それなら子供を持とうか、と思う人がいるんだろうか。

前に新聞で、フランスとか北欧の国で出生率が持ち直している例を挙げて、それはこういう「少子化対策」が効を奏したからだ、と書いてあるのを読んだのですが…最近気づいたけれど、それって根本的な勘違いだったんじゃないだろうか。

そういう国では別に「労働人口が減ると困るから子供を増やそう」と思ったわけじゃなくて、「子供を持ちたいと思う人は、なるべく困難なく心配なく子供を持てるようにしよう、それが国民にとっての幸せで、国民の幸せに寄与するのが政府の仕事だから」と努力したら、結果として出生率が上がった、ということじゃなかろうか。(フランスなんか移民を受け入れているから、労働人口を増やす必要は特になさそうだしね。)

とにかく、そもそも出発点が違うのよね、たぶん。

言葉の意味の上でも、現実を正直に認めるという意味でも、政策の精神の上でも、「少子化対策」という言葉は、いいかげん使うのをやめたらどうだろうか。「子育て支援」でいいじゃん。